2013年8月24日土曜日

【狛犬アルバム】千束八幡神社(東京都大田区南千束)


 千束八幡神社は、日蓮上人が足を洗ったという言い伝えのある洗足池のほとりにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
天保八年(1837年)




 池の淵にある鮮やかな朱色の鳥居をくぐり、少し階段を登ると拝殿があります。その左右に中くらいの大きさの素朴な狛犬がいました。

 太い眉毛と四角い頭が特徴的です。また、後ろからみると尻尾が真ん中わけできれいに左右に分かれていました。尻尾も眉も細やかに彫られてはいるものの、あまり立体感はなく、やや平面的な印象です。同じ天保期の北沢八幡の狛犬に近い雰囲気でした。吽形の口もとがニヤッと笑っているようにも見えて愛嬌があります。

 洗足池のまわりには日陰で昼寝をする人やジョギングする人がいて、ボート乗り場もありました。周辺住民の憩いの場になっていて、とても穏やかな景色でした。


<基本情報>
千束八幡神社
東京都大田区南千束2-23-10


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<関連サイト>
◆「洗足池」(Wikipedia) - この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。(中略)のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。
◆「旗挙げ八幡とも言われた八幡神社」(大田区の狛犬を訪ねて)
◆「千束八幡神社「名馬池月発祥伝説」」(デジカメ散策「大田区の史跡・歴史」)

2013年8月19日月曜日

【狛犬アルバム】雪ヶ谷八幡神社(東京都大田区東雪谷)


 雪ヶ谷八幡神社は、東急池上線の石川台駅からすぐ近くにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
西側の参道の鳥居の左右

<台座の年号>
明治二十九年(1896年)




 石川台の駅の周りの土地は低く、神社の境内は丘になっていました。商店街側から見えた小さな鳥居に向かって登ると鳥居の左右に小さな狛犬が一対いました。

 明治期に作られた小ぶりの江戸尾立ち狛犬です。横長で小さな鬼のような顔つき、蹲踞の姿勢で尻尾は大きく立っており、炎の揺らめきのような見事な造形です。頭の上をよくみると、阿形には宝珠、吽形には角がついていましたが、それ以外には阿吽の違いはほとんどありませんでした。全体的に細やかで石工職人の技が光るのですが、なぜか後脚の間がくりぬかれておらず、つながっている点が不思議です。ほかの狛犬ではこれまでに見たことのない特徴でした。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和十八年(1943年)




 拝殿の前には高い台座の上から見下ろす岡崎現代型の狛犬がいました。どこででもよく見るタイプです。

 南側のメインの参道にあった鳥居は両部鳥居といわれる型で、無垢の木製でした。東京の神社にはコンクリート製の鳥居も多い中で、木製で、かつ朱に塗られていない鳥居に出会えました。木目が見える鳥居はとてもいい佇まいでした。




<基本情報>
雪ヶ谷八幡神社
東京都大田区東雪谷2-25-1


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<関連サイト>
◆「雪ヶ谷八幡神社」(公式ホームページ)
◆「雪ヶ谷八幡神社」(Wikipedia)
◆「雪が谷八幡神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて)

2013年8月18日日曜日

【狛犬アルバム】御嶽神社(東京都大田区北嶺町)


 御嶽神社(おんたけじんじゃ)は東急池上線の御嶽山(おんたけさん)駅の近くにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
慶応三年(1867年)




 参道の途中に比較的大きな狛犬が一対いました。台座の周りには木の柵があり、狛犬に触れられないようになっていました。特に阿形の剥落が進んでいるためなのでしょう。首が長く、前脚をぴんと伸ばした蹲踞の姿勢でとてもよい姿勢です。

 大きく張り出した目に伏せ耳で、顔つきは横長です。阿形の口には小さな臼歯がびっしりと彫られていました。また、卍のような渦巻きが額や胸など身体中にありました。ソフトクリームのような尻尾は大きく、渦を巻きながら立ち上がっています。眉間の眉毛も渦を巻き、先がきゅっと捻じられていました。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
不明




 拝殿の前には、小ぶりな山犬(狼)の狛犬がいました。脇腹に三本のあばら骨と思われる線が彫られており、丸く太い尻尾が横に垂れています。かなり古いもののようで、欠けてる箇所も多く、ともに右耳がなく、首のあたりにも修復の痕跡がありました。

 阿吽にはなっておらず、ともに狐像のように巻物を口にくわえています。面白いことに、向かって右側の頭の上には宝珠らしき出っ張りがありました。

 製作された時期は分かりませんでしたが、下記のホームページによると、大きな社殿にした天保二年(1831年)の頃に奉納されたのではないかと推測されるようです。

◆「神使狼神社 大田区北嶺町御嶽神社 1」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅) - 銘文を探すことが出来なかった。拝殿の前にあることから、大きな社殿にした時、同時に建立したと考えられる。


<設置されている場所>
御嶽神社境内にある大鳥神社

<台座の年号>
天保年間(と推定)




 大きな拝殿の向かって右側にある小さな祠が大鳥神社で、この前にずんぐりむっくりとした一対の狛犬がいました。阿吽にはなっておらず、ともに阿形です。低い台座から平行に並んでこちらのほうを見つめています。首を内側に傾けていることから、以前は向かい合うように置かれていて、かつ左右が逆に置かれていたのではないかと推測したのですが、実は小さな目玉が彫られており、目玉は上のほうを向いいます。すると元から低い台座でこの配置だったのか、、、と謎が深まりました。

 身体中に丸く浮き出た渦巻きのような模様が彫られています。たてがみは大仏像の螺髪のような巻き毛で、あご髭や眉毛もくるくると渦を巻いています。向かって右側の狛犬の鼻の下には渦巻きのひげがあって、愛嬌があります。向かって右側の狛犬には角のような、左側の狛犬には宝珠がありました。また足下を見ると、とても鋭い四本の爪が台座をがっしりと掴んでいました。

 台座に奉納された年号が彫られていたのですが、「天」の後が剥落して読めませんでした。しかし神社の歴史を見ると、天保年間に奉納されたと見るのが妥当と思われます。

 御嶽神社は駅の近くの商店街の近くにあるわりに、境内はとても広くゆったりとした作りなのが印象的でした。拝殿や本殿の木彫りの装飾はとても立派で、区指定文化財にも指定されているとのことです。苔むした手水舎も古くて趣きがあって素敵でした。

◆「御嶽神社と子どもの天国『東調布公園』」(大田ナビ 散歩日和) - 中に入ると山岳信仰の神社らしく愛きょうのある顔つきの㈪二匹の山犬(日本オオカミ)が社殿を守っています。さらに後ろに回りこむと区指定文化財に指定された1831年創建といわれる本殿壁画の彫刻を見ることができます。


<基本情報>
御嶽神社
東京都大田区北嶺町37-20


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<関連サイト>
◆「御嶽神社」(公式ホームページ)
◆「御嶽神社」(Wikipedia)
◆「御嶽神社に合祀された大鳥神社」(大田区の狛犬を訪ねて)
◆「御嶽神社(大田区北嶺町)前編後編」(杜を訪ねて)
◆「御嶽神社〜東京都大田区」(神の息吹をいただく場所)
◆「御嶽神社」(東京こまっぷ)

2013年8月10日土曜日

【狛犬アルバム】六郷神社(東京都大田区東六郷)


 六郷神社は多摩川の河口近く、京急線の六郷土手と雑色の間にある神社です。大田区最古の参道狛犬がいると聞いてやってきました。2013年8月に訪問しました。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和十二年(1937年)




 拝殿前には高い台座の上に立派な岡崎現代型の狛犬がいました。戦後のものほど画一化されたデザインではありません。胸や前脚の筋肉が浮き出るように彫られており、とてもたくましい狛犬です。

 なお、台座には昭和十二年(1937年)とありましたが、下記のホームページによると大正八年(1919年)のものとのことです。

◆「大田区最古の狛犬、六郷神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて) - 現在鎮座している狛犬は大正8年のもの、台座を昭和12年に改修して高くしているようだ。



<設置されている場所>
社務所前庭

<台座の年号>
貞享二年(1685年)




 お目当てのはじめ狛犬は、なんと祠の前ではなく、前庭の井戸の前に置かれていました。

 なんと個性的な顔の狛犬なのでしょう。大きく窪んで彫られた横長の目と、大きな豚鼻、そして綺麗に並んだ歯。阿吽に彫り分けられていますが、阿型の歯は横から見ると少し出っ歯になって前に飛び出しているところも、愛嬌があります。

 なぜか阿形にははっきりと耳が彫られているのに対して、吽形は頭の上に小さく彫られています。もしかすると阿形が立て耳、吽形が伏せ耳なのかもしれません。また阿形の耳が渦巻き状に彫られているところが特徴的です。たてがみ、あご髭、肩のあたりと前脚に毛並みが彫られていますが、阿吽で微妙な彫り分けが見られます。尾は根元で左右に少し分かれますが、そこからまっすぐな尻が体にそって彫られています。

 はじめ狛犬の多くは腹の下はくりぬかれていないのですが、この狛犬は綺麗に腹の下がくりぬかれており、前脚と後脚がはっきりと彫られている点が特徴です。

 さすがに区内最古とあって有名狛犬となっており、神社の公式ホームページや大田区のホームページにも紹介がありました。

◆「六郷神社 » 境内散策」(公式ホームページ) - 神社神楽殿の前庭に置かれている狛犬は、独特のユーモラスな姿をしており、その造形の豊かな芸術性とともに、区内でいちばん古い狛犬として、大田区の文化財に指定されています。左側の呵形は耳を付け、高さ約45cm、胴の長さ約50cm。右側の吽形は角を3つ付け、高さ約45cm、胴の長さ約52cmです。

◆「狛犬(六郷神社)」(大田区ホームページ) - 貞享2年(1685年)に六郷中町の人々が願主となり、現世と来世の二世安泰を祈って奉納しました。区内で最も古いもので、石工は三右衛門と刻まれています。区指定文化財。この他、六郷神社では都指定文化財である流鏑馬が毎年1月に行われています。

 ちなみに六郷神社の境内は広く、大きな鳥居に石造りの立派な太鼓橋もありました。神社の案内によるとこの神社が面している大通りはかつての東海道(今は第一京浜)であったとのこと。多摩川近くの古くから交通の要衝であったこの地の歴史の古さを感じる神社でした。


<基本情報>
六郷神社
東京都大田区東六郷3-10-18


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<関連サイト>
◆「六郷神社<六郷の総鎮守>」(公式ホームページ)
◆「大田区最古の狛犬、六郷神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて) - 江戸時代の製作で、大胆な推測をすれば石工は何をモデルにしたのだろうか、当時珍重された「狆(チン)」ではないだろうか。しかし、横から見ると前足の所に獅子が持つ羽のようなものがある、この羽のような毛を「走毛」という説もある。獅子からイメージしたものであろうか。

【狛犬アルバム】多摩川浅間神社(東京都大田区田園調布)


 多摩川浅間神社は、東急東横線の多摩川駅の近く、多摩川を見下ろす田園調布の高台の上にある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
大正三年(1914年)




 拝殿の前には大正時代の江戸獅子タイプの狛犬がいました。華麗な巻き髪のたてがみと尾が特徴的で、後ろから見るとその優美な毛並みが際立っています。阿形は子獅子を、吽形が玉を抱える、いわゆる「子取り玉取り」という型です。阿形の子獅子が玉にかぶりつく様が可愛らしいですね。

◆「玉と狛犬」(狛犬放浪記)

 この多摩川浅間神社は明治四十年(1907年)に、合祀されてできた神社だそうです。ということはそれから7年でこの狛犬が奉納されたことになります。氏子たちも待ち望んだのでしょう。

◆「多摩川浅間神社 歴史」(公式ホームページ) - 昔、下沼部村には、浅間、赤城、熊野の三つの神社がありましたが、明治40年、”一村に一神社”という合祀のための政令が出されたことから村人たちの話し合いが行われ、浅間神社が新しい村の鎮守様になりました。


<設置されている場所>
末社(小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社)の前

<製作年>
不明

 複数の社が合祀された末社には、狐像が五体(二対と一体)置かれていました。どれも小さく古いものでしたが、素朴な表情をしていました。

 足が折れた古いお稲荷さん。


 にっこりと見つめ合うお稲荷さん。


 まっすぐ前を見据えるお稲荷さん。


 ちいさな瞳と控えめな口元が可愛らしいです。



<基本情報>
多摩川浅間神社
東京都大田区田園調布1-55-12


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<関連サイト>
◆「多摩川浅間神社」(公式ホームページ)
◆「多摩川浅間神社」(Wikipedia)

2013年8月9日金曜日

【狛犬アルバム】新宿十二社熊野神社(東京都新宿区西新宿)


 新宿十二社熊野神社は新宿副都心、東京都庁が見下ろす新宿中央公園に隣接してある神社です。同じ新宿にある花園神社とともに新宿総鎮守として祀られているそうです。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
文化元年(1804年)




 拝殿前にいた狛犬はなかなかの古いものでした。江戸の狛犬は1800年代半ばを超えると華麗な江戸獅子タイプが増えていくのですが、この狛犬はまだ蹲踞の姿勢を崩しておらず、尾もピンと立っています。阿吽が向かい合うように設置されていますが、ともに首をやや参道に向けてひねっています。

 阿吽ともに伏せ耳で、彫り分けは見られませんでした。角をよくみると、吽形はしっかりと二本あるのですが、阿形の角は低くなっています。破損したためそれを後から補修したようにも見えます。もとは宝珠だったのでしょうか。それにしても、200年以上経つというのに、非常に綺麗な保存状態に驚きます。


<設置されている場所>
末社大鳥神社の前

<台座の年号>
享保十二年(1727年)




 拝殿前の狛犬よりさらに80年近くも古い狛犬が末社にいました。この狛犬はいわゆる「はじめ狛犬/江戸はじめ」として有名で、境内の案内板や公式ホームページにも解説がありました。

◆「新宿十二社 熊野神社 文化財」(公式ホームページ) - 本殿裏の末社大鳥三社にある狛犬で、腹の下がくりぬきになっていない珍しいものです。享保12年(1727)「角筈村上野百姓店児講中」により寄進されたものです。

 お腹の下がくりぬかれておらず、地面に近い低い台座の上に置かれています。尾は一カ所くるりと巻いていますが、背中にぺったりと張り付いています。阿形は角もなく、たてがみも毛先だけなので、つるんとした禿頭のようです。また口もはっきりと開いているというよりは、下あごを突き出して、かすかに口元を開けており、独特の表情をしています。

 それと比べると吽形は非常に完成されたデザインで、角があることと、眉毛がしっかりと彫られていることから表情も引き締まって見えます。日光東照宮の狛犬にも似た威厳を感じました。


<基本情報>
新宿十二社熊野神社
東京都新宿区西新宿2-11-2


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<関連サイト>
◆「新宿十二社 熊野神社」(公式ホームページ)
◆「新宿十二社 熊野神社 由緒」(公式ホームページ) - 江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
 また、享保年間(1716~1735)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。

◆「熊野神社(新宿区)」(Wikipedia)
◆「十二社熊野神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「新宿 十二社熊野神社」(狛犬放浪記)