2013年6月30日日曜日

【狛犬アルバム】駒場博物館(東京都目黒区駒場)


 駒場博物館は東京大学駒場キャンパス内にある博物館です。この博物館前に狛犬(中国獅子)を見つけました。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
博物館の入り口の前

<製作年>
不明




 中国獅子は北獅子(天安門型)と南獅子に分類されますが、この中国獅子は北獅子(天安門型)でした。

◆「中国製狛犬」(狛犬屋『巽彫刻』)

 白い石で彫られており、蓮のような台座に乗っています。阿吽の別はありませんが、向かって右側のほうは正面から見ると丸く、向かって左側のほうは四角く、たてがみのボリュームが異なります。首をかしげる角度や、目の表情も左右で違うなど、巧みに彫り分けられていました。

 駒場博物館は、正式には「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館」というようです。いつの時代のもので、どうやってこの大学博物館に来たのかは不明です。大学の博物館には膨大な所蔵品があるようなので、そのなかの一つなのでしょう。


<基本情報>
駒場博物館
東京都目黒区駒場3-8-1


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<関連サイト>
◆「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館」(公式ホームページ)

2013年6月29日土曜日

【狛犬アルバム】乃木神社(東京都港区赤坂)


 乃木神社は明治時代の軍人、乃木希典を祀る神社です。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
一の鳥居の前

<台座の年号>
昭和三年(1928年)




 マッチョな狛犬がいました。いわゆる大宝神社型の狛犬です。威厳のある面持ちで、前脚の筋肉がかなり発達しており、ほとんど首がありません。阿形が伏せ耳、吽形が立て耳の別はありますが、それ以外には阿吽の違いはありませんでした。参道に平行に置かれているところが特徴的です。


<設置されている場所>
二の鳥居の前

<台座の年号>
昭和二年(1927年)




 なかなか特徴的な狛犬です。東郷神社の狛犬に似て、とても直線的です。護国型の威厳を持っているものの、白山狛犬に見られるようなおかっぱ頭が特徴的です。たてがみだけでなく、尻尾も直線的でデフォルメされており、あご髭も細くのどから胸に向かって線状に束ねられています。阿形は伏せ耳、吽形は立ち耳である以外には阿吽の別はないようでした。

 こちらも一の鳥居前の狛犬と同じく、参道に並行して置かれており、参拝客を正面から見据えていました。台座を見ると、原型はともに同じ「長谷川栄作」とありました。この方は乃木希典の甥のようです。

◆「今月の狛犬No.82~亀井堂の狛犬」(狛犬の杜別館)
◆「東京の狛犬」(狛犬について私が知っている2、3の事柄)

 なお、訪れたのは6月の末。ちょうど茅の輪くぐりが行われていました。この日は夕方から雨が降り始めたのですが、そろそろ梅雨も明けて本格的な夏が訪れそうです。


<基本情報>
乃木神社
東京都港区赤坂8-11-27


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<関連サイト>
◆「乃木神社」(公式ホームページ)
◆「乃木神社(東京都港区)」(Wikipedia)
◆「乃木神社」(神社探訪・狛犬見聞録)

2013年6月23日日曜日

【狛犬アルバム】稗田神社(東京都大田区蒲田)


 稗田神社はJR蒲田駅と京急蒲田駅の間にある神社です。平安時代中期に編纂された延喜式にも出ているほど歴史の古い神社だそうです。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和三十四年(1959年)




 いわゆる江戸獅子なのですが、全体的に丸みを帯びてずんぐりむっくりとしています。手足が丸太のように太く、熊のぬいぐるみのようです。柔和な表情につぶらな瞳でとても優しい表情です。大きな伏せ耳もまるでダンボのようです。阿吽の別はほとんど見られませんでした。

 なお台座には昭和三十四年(1959年)とあったのですが、狛犬自体はもっと以前のものと思われます。この地域にも他に同じような狛犬が見当たらないことからなんともいえませんが、この丸っこい雰囲気から見ると1800年代前半から中盤にかけての江戸時代のものではないでしょうか。





<設置されている場所>
末社の薬祖神社

<台座の年号>
昭和十五年(1940年)

 末社の薬祖神社には岡崎現代型の狛犬がいました。座を見ると紀元二六〇〇年(昭和十五年)とありましたが、狛犬自体はもっと新しい時代のもののような気がします。


<基本情報>
稗田神社
東京都大田区蒲田3-2-14


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<関連サイト>
◆「延喜式内社・ひえだ神社」(公式ホームページ)
◆「稗田神社」(Wikipedia)
◆「延喜式にも記載された稗田神社」(大田区の狛犬を訪ねて)
◆「稗田神社狛犬 境内の薬祖神社狛犬(東京都大田区蒲田)」(横須賀周辺の狛犬 狛犬や身近な地域史探訪)

2013年6月22日土曜日

【狛犬アルバム】蒲田八幡神社(東京都大田区蒲田)


 蒲田八幡神社は、京急蒲田駅の近く、商店街の裏手にある神社です。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和三十六年(1961年)




 近代的で立派な拝殿の前には大きくどっしりとした狛犬がいました。体つきは大宝神社型なのですが、大きくインパクトの強烈な顔が特徴的です。顔つきは鬼のようで、どことなく藤子不二雄Aの笑ゥせぇるすまんに出てくる喪黒福造に似ているような気がします。眉毛がしっかりと彫られており、それが恐ろしげに見せているのかもしれません。また、頭頂部にほとんど毛がなく、つるんとしているように見えます。阿形は巻き髪、吽形は直毛と彫り分けられており、吽形の頭には前後に分かれた角がありました。


<設置されている場所>
末社天祖神社の前

<台座の年号>
明治十一年(1878年)




 末社の天祖神社には立派な江戸獅子がいました。石の色は黒に近く、重厚感があります。このタイプにしては珍しく、阿吽ではなく、阿阿になっていました。見れば見るほど丁寧に作られた立派な狛犬です。特に尻尾の彫りが秀逸で、阿形は平らに台座にかかり、吽形はふんわりと台座にかかるように彫り分けられています。

 また、江戸獅子の子獅子は摩耗してしまっているものも多いのですが、この子獅子は非常に状態がよく、顔の表情もからだつきも綺麗な状態です。特に子獅子の尻尾が阿吽ともに台座にかかる巧妙さ。さらに阿形の子獅子の尻尾は跳ね上がっており、吽形の子獅子の尻尾は垂れているなど、これでもかというほどのこだわりが見れます。

 台座に年号は見当たりませんでしたが、以下のページによると、明治十一年(1878年)の製作だそうです。この時代でこの保存状態も見事というほかありません。

 また、神社のホームページには、この蒲田の辺りは多摩川の河口にあたり、水の便が良いため交通の要衝となり、物資の集積地ともなっており、この神社も縄文時代の原始信仰と共に形作られた斎場が時代とともに推移して今日の形となったのではないか、とありました。大田区は狭い地域にかなり多くの神社が密集していることは、このような歴史的、地理的な背景があったからなのだと気づかされました。

蒲田八幡神社ー由緒ー(公式ホームページ)


<基本情報>
蒲田八幡神社
東京都大田区蒲田4-18-18


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<関連サイト>
◆「蒲田八幡神社目次ページ」(公式ホームページ)
◆「新宿八幡を改め蒲田八幡神社となった」(大田区の狛犬を訪ねて)

【狛犬アルバム】安方神社(東京都大田区多摩川)


 安方神社は東急大井町線矢口渡駅のすぐ近く、環八通りに面したところにある神社です。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和四十四年(1969年)




 ゆとりのある境内にいたのは、昭和四十四年製の岡崎現代型の狛犬でした。よく見る型ではありますが、機械彫りではない丁寧さが感じられます。


<基本情報>
安方神社
東京都大田区多摩川1-5-11


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<関連サイト>
◆「安方神社|大田区多摩川の神社」(猫の足あと)
◆「明治42年に八幡神社から安方神社になる」(大田区の狛犬を訪ねて)

2013年6月15日土曜日

【狛犬アルバム】諏訪神社(東京都大田区多摩川)


 諏訪神社(諏方神社、とも書かれることもあるようです)は、新田神社に祀られている新田義興が討たれたという矢口の渡しにあります。最寄り駅は東急多摩川線矢口渡です。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
昭和十五年(1940年)




 参道の途中、高い台座の上に立派な護国型の狛犬がいました。岡崎古代型のようでもありますが、(瓔珞はないものの)オリエンタルな顔つきや蹲踞の姿勢などから弥彦神社型と言っていいでしょう。

 向かって吽形の台座には皇紀二千六百年、右側には昭和十五年とありました。この年には多くの狛犬が作られ奉納されました。やがて日本が戦争へと突き進んで行く時代の雰囲気を象徴する威厳のある狛犬です。ただ、左右双方に子獅子がおり、親獅子の参道側の前脚に手を回し大人しくしているところなどは優しい印象を与えてくれます。

◆「神武天皇即位紀元」(Wikipedia)
◆「 6-29.昭和15年・皇紀2600年 2」(昭和からの贈り物) - 現在も皇紀2600年を記念して奉納された、狛犬や石像などが、さまざまな神社などに見ることが出来ます。


<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
明治四年(1871年)




 その奥、参道の途中にもう一対の狛犬がいました。低い台座で、台座には明治四年と刻まれています。廃仏毀釈のこの時期の狛犬は珍しいと思われます。

 阿形の頭には宝珠があり、吽形には角と思われる2つのこぶがありました。蹲踞の姿勢で、体つき、特に前脚はむちっとしています。前脚、後脚の爪が鋭く、がっちりと力強く台座を掴んでいます。残念ながら、阿形の口元や尻尾は折れてしまっていました。


<基本情報>
諏訪神社
東京都大田区多摩川2-10-2


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<関連サイト>
◆「社殿も新しくなった諏方神社」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)
◆「大森諏訪神社|大田区大森西の神社」(猫のあしあと)
◆「狛犬分類学(6) 護国(ごこく)」(狛犬ネット)


【狛犬アルバム】十寄神社(東京都大田区矢口)


 「十寄」と書いて「じっき」もしくは「とよせ」と呼ぶそうです。同じく大田区矢口の新田神社と関連の深い神社です。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
昭和十四年(1939年)




 参道にあった一対の狛犬は昭和十四年と比較的新しいのですが、材質がもろいようでセメントで修復した跡がありますが、前髪、口髭などはとても繊細な細い彫りがほどこされています。タイプは江戸獅子で、全体的なバランスもとれています。

 阿吽それぞれに子獅子が二匹ずつじゃれついているのが可愛いです。戦時色が強くなっていったこの時代にも、いわゆる護国型の威厳のある狛犬だけではなく、このような狛犬が作られていたのですね。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
享保三年(1803年)




 非常に綺麗に建て直された拝殿の賽銭箱の置かれている下地が砂利敷きになっており、ここにもう一対の狛犬がいます。非常に古い狛犬で享保の時代のものでとても個性的な狛犬でした。

 サイズは小さめで台座も低く、砂利の上に直接設置されています。また、阿吽ではなく、阿阿になっていますが、前髪の流れ方や髭などに微妙な違いがありました。目の彫りは浅く線が引かれているようですが、前脚、後脚は鋭くがっちりと台座を掴んでいたり、体全体にこぶのような模様もあるなど、非常に細かな作りになっています。

 尻尾が立っていて、その後ろは平らになっていました。ただ、この尻尾も。よく見ると阿吽で尻に近い部分の渦巻き方が異なっていました。また阿形の頭には宝珠でしょうか。出っ張りがあり、吽形の頭にも折れてしまった角の痕跡のようなものがありました。

 江戸時代には新田神社へお参りに行く前に、まずこの十寄神社で新田義興の従者たちにお参りすることになっていたようです。さすがに伝統のある神社は狛犬もしっかりとしたものが作られていたのだと感心させられました。


<基本情報>
十寄神社
東京都大田区矢口2-17-28


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<関連サイト>
◆「新田義興の従者達を祭る十寄神社」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)
◆「十寄神社」(武蔵野・多摩 MTB散歩)
◆「十寄(とよせ)神社」(神社探訪・狛犬見聞録)

【狛犬アルバム】氷川神社(東京都大田区矢口)


 新田神社に続いて、近くにある氷川神社に向かいました。境内のほとんどが公園となっている小さな神社です。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
嘉永二年(1849年)




 参道に対して体は直角に設置されており、首をやや鳥居方向に傾けています。胴体、特に首から上腕部にかけてが長く、顔が小さいのが特徴的です。分厚いたらこ唇とふさふさとしていて、ふんわりと下ろされた前髪はこの時代の江戸獅子によくある様式です。吽形は参道側の右足をわずかに上げたような動作をしているのが面白いです。

 つぶらな瞳と、さほど豚鼻ではない子犬のような鼻が、隣の公園で遊ぶ子ども達を優しく見守るような表情にも見えました。また狛犬の手間を石灯籠に彫られた竜と虎も見事なものでした。


<基本情報>
氷川神社
東京都大田区矢口1-27-7


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<関連サイト>
◆「氷川神社」(公式ホームページ)
◆「素戔嗚尊を祀る氷川神社のひとつ」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)

【狛犬アルバム】新田神社(東京都大田区矢口)


 新田神社は、南北朝時代の武将新田義興を祀った神社です。東急多摩川線の武蔵新田から続く商店街の途中にあります。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
境内の南側

<製作年>
不明



 拝殿の左側にぽつんと相方を失った狛犬が置かれています。阿形のみで、吽形は戦災で壊れてしまったとのことです。かつてはこの狛犬が拝殿の前に置かれていたようです。

 年代は不明ですが、全体の印象や眉毛や目の感じから江戸時代、1800年代中期のものではないかと推測されます。実はこの狛犬は「うなる狛犬」という伝説があります。そしてこの伝説には、この神社が祀る新田義興の悲劇的な最期に由来しているのです。

 鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ新田義貞の次男である新田義興は南朝側として、父と同じく倒幕の立役者の一人である足利尊氏の北朝側と対立していました。そして、正平十三年(1358年)、新田義興とその従者たちは、多摩川の矢口の渡し(現在の東京都大田区矢口)で謀略を企てた足利基氏家臣の畠山一族に謀殺されてしまいます。その後、無念の死を遂げた義興の怨念が矢口付近に夜々現われるようになったため、その御霊を鎮めるために新田神社が建立されました。そしてそれ以来、畠山一族とその血縁者の末裔が新田神社付近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったというのです。

◆「新田神社について」(公式ホームページ)

 しかし、これはあくまでも伝説であり、江戸時代に生まれたものと考えられています。狛犬のタイプとしても江戸時代のものですし、そもそも狛犬が一般的に参道に置かれるようになったのも江戸時代からです。liondogさんの研究によると、十八世紀終わり頃に作られた「神霊矢口渡」という人形浄瑠璃の演目にあやかって「うなる狛犬」という伝説ができたのではないかということです。

◆「うなる狛犬」(スマホ版)(liondogの勉強部屋)
◆「神霊矢口渡」(コトバンク)

 ちなみに、この時に義興と共に討たれた従者たちは新田神社の近くの十寄神社に祀られています。こちらの神社にも魅力的な狛犬がいました。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和四十年(1965年)




 拝殿の前に設置されている狛犬は岡崎古代型でした。よく見るタイプですがしっかりとした作りではありました。


<基本情報>
新田神社
東京都大田区矢口1-21-23


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<関連サイト>
◆「新田神社」(公式ホームページ)
◆「新田神社」(Wikpedia)
◆「新田神社の唸る先代狛犬と昭和狛犬」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)
◆「「破魔矢」発祥の新田神社」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)
◆「新田神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「うなる狛犬」(スマホ版)(liondogの勉強部屋)

【狛犬アルバム】六所神社(東京都大田区下丸子)


 六所神社は大田区下丸子の住宅地の中にある神社です。東急多摩川線と多摩川の間のこのあたりには寺社が多くありました。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の元号>
天保十年(1839年)





 参道の途中にかわいらしい狛犬がいました。左右とも阿阿となっていました。少し離れた小さな瞳、眉毛はたっぷりとボリュームがあって、真ん中分けのおかっぱになっています。尻尾は、前から見ても、後ろから見ても、尻尾が巻いて台座にかかっています。前脚や後脚の形や爪の部分等は単純化された作りになっていますが、前脚の後ろ側には細かな毛が彫られるなど丁寧な作りとなっています。

 実は私は台座の年号は読み取れませんでしたが、下記のサイトによると天保十年(1839年)の奉納とのこと。そして、その後に昭和三十六年に寄進者の孫の方が修復したと彫ってありました。同じ字体ですが、彫ったあとの石の色で新しいことがわかりました。修復後に台座をすっかり替えてしまい、いつのものかわからなくなることが多々ありますが、このようにしっかりと履歴を残してくれるのは、いいことですね。

◆「江戸時代は下丸子の鎮守様」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)

 またカメラを構えていると地元のおじいさんにこんにちはと声をかけられて、少しお話ししました。狛犬や灯籠に寄進した人が名前を彫るのって面白いね、こうやって後世に名前を残したいんだね、なんて話をして和みました。


<基本情報>
六所神社
東京都大田区下丸子4-16-5


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<関連サイト>
◆「江戸時代は下丸子の鎮守様」(狛犬 大田区の狛犬を訪ねて)
◆「江戸期建立狛犬/天保(2) ~六所神社(大田区下丸子)」(狛犬の杜別館)
◆「六所神社|大田区下丸子の神社」(猫のあしあと)

2013年6月8日土曜日

【狛犬アルバム】花園神社(東京都新宿区新宿)


 花園神社は新宿ゴールデン街や歌舞伎町に近い、新宿のど真ん中にある神社です。境内には芸能関係の奉納が多いことで有名な芸能浅間神社もあります。2013年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
明治通り側の大鳥居の前

<製作年>
昭和十一年(1936年)




 比較的新しい年代なのですが、伝統的な江戸獅子型の狛犬で、非常にしっかりした作りになっています。やや胴体が長めな点が特徴的です。昭和初期は護国型といわれる威風堂々とした狛犬が好まれていました。台座が高く見下ろすことでやや威圧的な雰囲気がなくもないですが、この時代にしては穏やかな雰囲気を持った狛犬です。


<設置されている場所>
ゴールデン街側の鳥居の前

<製作年>
延享二年(1745年)




 江戸中期のものということで後頭部や後脚などがかなり破損していましたが、これはなかなか貴重な狛犬です。いわゆるはじめ狛犬の分類に入るでしょう。ギョロ目で口元の表情などが面白い顔をしています。太いまゆ毛とぺったりと張りついたあご髭、尻尾は立っています(江戸後期以降の東京の狛犬は尾が横に流れるのが特徴です)。胴体に毛はないのですが、肩や膝、そして首もとの部分に渦巻きのような特徴的な模様が彫られています。阿吽ともに前歯は六本の臼歯と二本の犬歯があり、その間が空いているのも特徴です。


<設置されている場所>
靖国通り側の鳥居の前

<製作年>
文政四年(1821年)




 これは見事なブロンズ製狛犬です。ブロンズ狛犬は多く見ましたがこのような形ははじめてみました。かなり特徴的です。まず阿形の頭には宝珠が載っています。吽形には角があり、前後に割れており、ともに後ろ側に流れています。体には放射状の渦巻きのような不思議な模様が彫られていました。流れるようなたてがみは長く、背中にまで達しており、手首や足首付近にもふさふさとした毛が渦巻いています。尻尾も一度立ち上がったあとに、華麗に渦を巻き、そこからさらに上に立ち上がるというなんとも優雅なもの。

 顔の表情は唐獅子そのものです。威圧感のある表情、そして獰猛な肉食獣の牙の鋭い口元。前脚・後脚の爪も鋭く、がっちりと台座を掴んでいます。その台座もしめ縄が浮き彫りで彫られており、非常に立派なものでした。

 ただし、新宿区指定有形文化財に指定されているとのことで、檻に入った囚われの身になってしまったようです。歌舞伎町がすぐ近くということもあり、酔っぱらいにからまれて、傷つくこともありえるので、仕方ないのかもしれませんね。


<基本情報>
花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3


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<関連サイト>
◆「東京新宿鎮座 花園神社」(公式ホームページ)
◆「花園神社」(Wikipedia)
◆「花園神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「花園神社の狛犬」(かしこみかしこみ)
◆「花園神社 (新宿区歌舞伎町)」(杜を訪ねて)

2013年6月2日日曜日

【狛犬アルバム】六所神社(東京都世田谷区野毛)


 六所神社は多摩川に近い世田谷区の野毛にある神社です。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和十二年(1937年)




 タイプとしては江戸獅子なのですが、なかなか特徴的な狛犬です。阿形の舌を突き出したように見えます。唇が厚めで、ややギョロ目。顔つきは虎のようにも見えます。

 体つきは丸みを帯びていて、腕は円柱のようです。全体的にデフォルメされた滑らかな曲線から構成されています。たてがみや尻尾も優雅に流れてはいるものの、細やかなふさふさとした毛並みではなく、毛が束となって、チューブのような形状をしているのも特徴的です。前脚に絡み付くような流れも印象に残ります。


<設置されている場所>
水神社の前

<台座の年号>
昭和六十二年(1987年)




 境内内にあった摂末社の水神社の前にやや小さめの岡崎現代型狛犬がいました。大きな団子鼻が迫力がありました。


<基本情報>
六所神社
東京都世田谷区野毛2-14-2


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<関連サイト>
◆「野毛六所神社|世田谷区野毛の神社」(猫の足あと)