2013年5月25日土曜日

【狛犬アルバム】宇治上神社(京都府宇治市宇治山田)


 宇治上神社は宇治神社とかつては一体の神社だったそうです。こちらの神社にも江戸時代の古い狛犬がいました。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
弘化二年(1845年)




 比較的大きめのサイズの浪速狛犬です。工事中でいい角度から撮ることができなかったのですが、立派な扇型の尾を持っています。阿吽の別はほとんどありません。吽形のぐっと噛みしめた下あごが力強いですね。

 なお、宇治神社の本殿は平安時代の建築で、現存する最古の神社建築とされ、国の重要文化財に指定されているそうです。


<基本情報>
宇治上神社
京都府宇治市宇治山田59


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<関連サイト>
◆「世界遺産(世界文化遺産) 宇治上神社」(京都府ホームページ)
◆「宇治上神社」(Wikipedia)

【狛犬アルバム】宇治神社(京都府宇治市宇治山田)


 宇治と言えば平等院鳳凰堂が有名ですが、素敵な狛犬にもたくさん出会うこともできました。宇治川に架かる朝霧橋を渡ると、向かいに大きな鳥居が見えてきます。ここが宇治神社です。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
二の鳥居前

<製作年>
大正六年(1917年)




 鳥居の脇から見下ろしているこの狛犬は立派な作りで、迫力満点です。阿吽の別はほとんどありませんが、吽形に角があるところなどは浪速型の伝統的なデザインとなっています。優雅に流れるたてがみ、あご髭、眉はカールしており、やや横長ですが、迫力のあるやや目元の上がったギョロ目、口周りは肉付きがよく犬歯があり、耳は伏せ耳もしくは横耳、姿勢は蹲踞の姿勢で、手足はそろっていて、尾は渦を巻き立ち上がっているというこのパターンは、京都でよく見かけるように思います。京風洗練狛犬でも名付けてもよいかもしれません。


<設置されている場所>
一の鳥居の手前、社務所の前

<台座の年号>
<製作年>
大正六年(1917年)




 これはまさに東大寺南大門型の狛犬です。ただしサイズはそれほど大きくなく高さは70、80センチといったところでしょうか。それにしても見事な造りです。首飾りを見てもとても丁寧に彫られていることがわかります。東大寺南大門のものと比べると、前脚がよりがっちりとしており、首や顔はやや小さく、より狛犬のお作法に近づいたデザインになっています。その分、より筋肉の動きが協調され、より動物的な表現になっています。狛犬の型としてひとつの完成形といえるのではないでしょうか。

 実は、以前これと同じようなものを大阪の「土佐稲荷神社」でも見たことがありました。このタイプのものはあまり見ないので見つけるととても嬉しいですね。


<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
不明




 拝殿の前にはかなり大きな団子鼻の浪速狛犬がありました。上記2つの狛犬がかっこいい系だったので、その可愛らしさが引き立ちますね。

 実はここ宇治神社には、昭和六十三年(1988年)まで鎌倉時代の木造狛犬が置かれていたとのこと。長年に渡る痛みが激しく、現在は宇治市歴史資料館で保管されているようです。今度訪ねる機会があれば、ぜひお目にかかりたいものです。

◆「木造狛犬吽形(宇治神社 宇治市)」(京都府ホームページ)


<基本情報>
宇治神社
京都府宇治市宇治山田1


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<関連サイト>
◆「宇治神社」(Wikipedia)
◆「宇治神社」(源氏ろまん 京都宇治ウェブガイド)
◆「狛犬分類学 6 護国(ごこく)」(狛犬ネット) - 典型的な東大寺南大門型の護国。両方とも口を開いている「阿-阿」型である点や、胸にベルト飾りをあしらっているところは中国獅子の様式そのもの。

【狛犬アルバム】縣神社(京都府宇治市宇治蓮華)


 平等院に向かう途中に立ち寄った縣神社は、平等院の鬼門にあたることから、平等院が建立された際に平等院の総鎮守となったとのことです。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
萬延元年(1860年)




 シンプルな浪速型というより、優美な京型とでもいうべき雰囲気です。目はギョロっとはしていますが、やや切れ長なので威厳のある表情になっています。たてがみの毛並みがなかなか優美で、胴体にはこぶのようなものがありました。


<基本情報>
縣神社
京都府宇治市宇治蓮華72


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<関連サイト>
◆「京都・宇治 縣神社公式ホームページ」(公式ホームページ)
◆「縣神社 (宇治市)」(Wikipedia)
◆「県神社」(源氏ろまん 京都宇治ウェブガイド)








【狛犬アルバム】下御霊神社(京都府京都市中京区寺町通丸太町下る下御霊町)


 下御霊神社は京都御所の近くにある神社で、歴史の舞台から消え去り、非業の死を遂げた皇族、官吏らを祀った神社です。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
鳥居の前

<製作年>
嘉永七年(1854年)




 丸太通り側の鳥居の両サイド、鳥居の少し奥に狛犬がいます。阿はくわっと口を開き、吽形は前歯で下唇をぐっと噛みしめています。胴体の作りからみて大宝神社型狛犬のアレンジと見るのがよいと思いますが、この顔の表情は福岡市内でよく見かける博多狛犬に似ています。頭のてっぺんが平たく、伏せ耳で離れがちの目も特徴的です。


<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
不明




 これは大宝神社型と江戸獅子風の優雅な毛並みと浪速狛犬の伝統のハイブリッドのように感じます。サイズは小振りでからだつきは柴犬のような愛らしさはありますが、顔つきは獰猛な肉食獣そのもので、そして毛並みは霊獣に相応しい優美さを兼ね備えており、非常に完成度が高いデザインになっています。一見、どこにでもありそうなタイプですが、なかなか魅力的なデザインです。どうやらこのタイプは明治期に活躍した「石川茂右衛門」という石工が彫った物のようで、「茂右衛門狛犬」とも呼ばれているようです。

◆「狛犬(こまいぬ)」(京都の石屋〔石茂〕芳村石材店)


<設置されている場所>
拝殿の中

<製作年>
不明




 こちらは典型的な神殿狛犬です。黄金の体に阿形は緑色の巻き毛、吽形は青色の直毛に、前後に割れた角を持っています。


<基本情報>
下御霊神社
京都府京都市上京区新烏丸通丸太町下ル下御霊町


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<関連サイト>
◆「下御霊神社」(公式ホームページ)
◆「下御霊神社」(Wikipedia)
◆「下御霊神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「京都妖怪探訪(59):下御霊神社」(負け犬の遠吠え日記) - 上御霊神社の南にあったので下御霊社と呼ばれたそうです。社殿によれば、809年(大同2年)、伊予親王とその母・藤原吉子の霊を慰めるため839年(承和6年)に仁明天皇によって創建されたそうです。元は京極の東にあった下出雲寺の鎮守として祀られた後、新町通出水両御霊町(現京都府庁のある地)へ移され、さらに後に、豊臣秀吉による都市改造で現在地へ移されたそうです。
◆「御霊信仰」(Wikipedia) - 人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。




【狛犬アルバム】漢國神社(奈良県奈良市漢國町)


 「鎮宅霊符神社」を後にして、近鉄奈良駅まで歩いて帰る途中に見つけた神社にふらりと立ち寄ってみました。「漢國」と書いて「かんごう」と読みます。

<設置されている場所>
鳥居の前

<製作年>
天保十二年(1841年)




 鳥居の前には立派な浪速狛犬が鎮座していました。一部剥落している箇所もありましたが、全体的には江戸時代末期のものにしては、あまり風化することもなくきれいな彫りが残っていました。

 ちなみに境内にある林神社(りんじんじゃ)は、なんと日本唯一の饅頭の神社だそうです。かつて中国から日本に饅頭を伝えた僧が漢國神社に滞在したのだとか。面白い神社があるものです。


<基本情報>
漢國神社
奈良県奈良市漢國町6


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<関連サイト>
◆「漢國神社」(公式ホームページ)
◆「漢國神社」(Wikipedia)

【狛犬アルバム】鎮宅霊符神社(奈良県奈良市陰陽町)


 東大寺、春日大社と奈良の歴史を堪能したところで、「ならまち」というエリアにある小さな神社をふらりと訪れました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
慶應三年(1867年)




 なんと笑顔の素敵な狛犬なんでしょう! 阿形はうひょーとった表情で口角を上げて喜び、吽形はにんまりと含み笑いをしているかのようです。mixiコミュニティでは「ひゃっほう狛犬」と名付けられたとのこと。まさにそのとおり。寄り目がちなギョロ目とまん丸のだんご鼻の愛らしいこと。前脚が細めで、参道側にやや前傾姿勢になっていたりと妙にアンバランスなのですが、それもまた可愛らしいのです。

 ちなみに、「鎮宅霊符」とは、家の安全を願うことためのおまじないを掛けたお札といった意味合いだそうす。そして、住所の「陰陽町」は「いんようちょう」と呼ぶようで、陰陽師と関係があるようです。

◆「鎮宅霊符神社」(神社参拝記) - 「鎮宅」とは、家・屋敷の安全を願うこと、そして家族の幸せを願うこと。鎮宅霊符神とは、霊符を使った呪法により家内安全を守護する神様なのだそうです。

◆「名所 鎮宅霊符神社」(ならまち情報サイト) - 1117年に創建されたこの神社は、陰陽師の鎮守の祭壇所でもありました。この辺りにも陰陽師が住んでいたことから、所在地は「陰陽(いんよう)町」と呼ばれています。

ちなみに、台座に「慶應三年」とあったので調べてみたところ、慶應というのは江戸幕府最後の年号で、慶應三年はなんと明治維新の前年でした。激動の年を翌年に控えたこの年に、こんな穏やかな表情の狛犬が造られていたとは・・・


<基本情報>
鎮宅霊符神社
奈良県奈良市陰陽町5


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<関連サイト>
◆「鎮宅霊符神社[再訪] ひゃっほう狛犬探索(Vol.3)」(久延毘古 独言 ―幽黙庵の囲炉裏端―) - 【石工 南都手貝 權兵ヱ】作の【ひゃっほう】兄弟狛犬さん もう少し探してみる価値はありそうです。
◆「ひゃっほう狛犬の作者「石工・南都手貝・権兵ヱ」を廻るあれこれ Vol.1 鹿畑素盞鳴神社〜佐紀釣殿神社」(久延毘古 独言 ―幽黙庵の囲炉裏端―) - 「ひゃっほう」の作者が「權兵ヱ」という南都手貝の石工であることがわかったのです。

【狛犬アルバム】春日大社(奈良県奈良市春日野町)


 東大寺南大門の狛犬を見てすっかり満足した気持ちで春日大社に向かいました。

<設置されている場所>
二の鳥居前

<製作年>
昭和四十三年(1968年)




 実は春日大社に行くまではまさか狛犬がいるとは思っていませんでした。通常、伊勢神宮、出雲大社、熱田神宮など、歴史の古い神社には狛犬はいないことがほとんどです。それは、参道に石造の狛犬が設置されるようになったのは、主に江戸時代以降のことだからです。

 などと考えながら台座を見ると、昭和四十三年に春日大社鎮座千二百年と、寄進した方の金婚式(!)を記念して個人から寄進されたとありました。春日大社といえば無数の石灯籠が並ぶ壮麗な参道が有名ですが、あえて狛犬を寄進した方は目立つことが好きな方だったのでしょうか。

 狛犬自体は典型的な岡崎現代型のものでしたが、苔むし具合がとてもいい雰囲気でした。


<基本情報>
春日大社
奈良県奈良市春日野町160


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<関連サイト>
◆「世界遺産 春日大社 公式ホームページ」(公式ホームページ)
◆「春日大社」(Wikipedia)
◆「第2回狛犬同好会出展品 春日大社の狛犬君」(mihohoの気持ち)

【狛犬アルバム】手向山八幡宮(奈良県奈良市雑司町)


 東大寺の大仏殿を見学した後に、ふと脇に目をやると鳥居があり、その前に狛犬を発見しました。「手向山」と書いて「たむけやま」と呼びます。

<設置されている場所>
鳥居の前

<製作年>
嘉永六年(1854年)




 非常に綺麗な彫りが残っているので昭和のものかと思って台座を見ると、嘉永六年ということで江戸時代のものでした。苔のつき具合などを見ると、台座から狛犬まで同じ時代の物と推測されます。明治時代の神仏分離までは、東大寺の鎮守社とされてきたとのことで、当時としてはかなり立派な作りのものであったと思われます。ギョロ目、直立の扇型の尾などは浪速狛犬の特徴です。


<基本情報>
奈良県奈良市雑司町434


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<関連サイト>
◆「手向山八幡宮」(Wikipedia)

【狛犬アルバム】東大寺南大門(奈良県奈良市雑司町)


 日本最古の石像狛犬と言われる東大寺南大門の狛犬を見に奈良に行ってきました。狛犬好きになってから、一度は見に行かなければと思ってきた狛犬です。


<設置されている場所>
南大門

<製作年>
建久七年(1196年)




 鎌倉時代に東大寺が復興された際に宋から訪れた石工によって作られたとされるこの狛犬ですが、正確には中国獅子と言うのが正しいです。阿吽にはなっておらず、胸には瓔珞(ようらく、観音像が首からかけている宝珠のこと)と呼ばれる飾りベルトがかかっているなど、中国獅子の特徴そのものです。

 この瓔珞もよく見るとさまざまな装飾品がかけられています。横からみると前足と首が一直線になっており背筋がピンと伸びています。口は直線的で四角いのも特徴です。800年以上前の石像ですが、これまで見てきた参道で風雨にさらされてきた狛犬とは全く異なり、繊細な彫りが残されています。

 全体的に毛は少ないのが特徴ですが、前脚の後ろ側に沿うように巻毛があります。また、尾は見当たらないのですが、後脚のかかとに巻き毛らしきものが見えていました。左右の像の差はほぼないのですが、向かって左側(通常であれば吽形)のほうが、正面から見るとかなり極点に右側(参道側)に傾いていました。

 奈良時代に中国大陸から日本に伝わった獅子は獅子・狛犬という日本独自の姿として宮中に置かれることとなりましたが、鎌倉時代のここ東大寺では純中国式の獅子像が作られました。江戸時代になると、狛犬は石像狛犬という形で庶民の目に触れるものとなり、そして現在、日本全国の神社の至る所で狛犬を、中華料理店の店頭では中国獅子を、そして沖縄ではシーサーという形で、私たちは獅子像の様々なバリエーションを目にしています。そんなことを考えて、何百年という単位での大きな時の流れを感じるとても意義深い訪問となりました。


<基本情報>
奈良県奈良市雑司町406-1


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<関連サイト>
◆「東大寺」(Wikipedia)
◆「東大寺」(公式ホームページ)
◆「南大門|境内のご案内」(公式ホームページ)
◆「狛犬分類学 6 護国」(狛犬ネット)
◆「狛犬分類学 7 中国獅子」(狛犬ネット)
◆「中国獅子」(liondogの勉強部屋)

【狛犬アルバム】建仁寺禅居庵 摩利支尊天堂(京都府京都市東山区大和大路通四条下ル)


 建仁寺を訪れる途中に偶然通りかかった摩利支尊天堂で、思わぬ発見がありました。狛犬ならぬ狛猪にはじめてお目にかかることができました。

<設置されている場所>
参道の途中

<製作年>
不明(門の前の石柱に昭和十年と彫ってあったので同じ年かもしれません)




 台座が岩場のように彫られています。スリムなからだ付きで、斜め45度に駆け上がるようで、躍動感がありました。しっかりと阿吽になっているため、狛猪とあえて言っても問題ないでしょう。


<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
不明




 こちらは参道の途中にあったものをデフォルメして作られた比較的新しい時代のもののようです。風船のように丸々とした体つきに、牙も小さめなので、まるで子豚のようです。後ろ姿も丸いお尻にちょこんとした尻尾がかわいいですね。参道のものも、拝殿前のものも丁寧にしっかりと造られていました。

 手水舎にもブロンズの猪像もありました。実はこの他にも全部で4対の狛猪がいたそうです。偶然立ち寄ったため事前のリサーチができなかったこと残念です。

 ちなみに、摩利支尊天とは陽炎を神格化したインドの女神で、猪に乗った姿で描かれるため、全国の摩利支天では猪像を見ることができるようですよ。

◆「【狛犬の仲間たち】1-7. そのほかの神使
◆「猪~イノシシ(1)  摩利支天(マリシテン)の猪」(神使の館)


<基本情報>
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町146


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<関連サイト>
◆「摩利支天」(Wikipedia)
◆「摩利支尊天堂へようこそ」(京都の神社・仏閣)
◆「摩利支尊天堂(禅居庵・建仁寺塔頭)」(京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内)

2013年5月18日土曜日

【狛犬アルバム】筥崎宮(福岡県福岡市東区箱崎)


 筥崎宮は宇佐、石清水と並ぶ三大八幡の一つとされているそうです。福岡市民にとっては、1月3日の玉せせりと、9月の放生夜で有名です。福岡市地下鉄箱崎線の箱崎宮前駅を降りると、博多湾のほうから長く続く参道の途中に出ます。2013年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
一の鳥居の前

<製作年>
大正十二年(1913年)




 筥崎宮では本殿のほうから数えて一の鳥居、二の鳥居と数えるそうですが、一の鳥居の両脇には立派な籠神社型狛犬がいました。同じく福岡市の福岡縣護國神社とほぼ同一のデザインです。

 鳥居をくぐって進むと立派な楼門が見えてきます。ここ筥崎宮では楼門の前で参拝することになっており、その先の本殿・拝殿のほうまでは入ることができませんでした。

 なお、楼門には「敵国降伏」と掲げられています。これは鎌倉時代の二度の元寇(文永の役/1274年、弘安の役/1281年)によって焼き払われた筥崎宮を再建する際に、亀山上皇が納めたものを、文禄年間に筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したものと言われています。

◆「御祭神と由緒」(公式ホームページ)
◆「敵國降伏」(歴史の散歩道)


<設置されている場所>
東末社

<製作年>
不明




 東末社にはユニークな表情の台湾狛犬がいました。宮地嶽神社の末社である三宝荒神の前に置かれていた狛犬と似ていますが、サイズはこれよりやや大きめでした。


<設置されている場所>
西末社

<製作年>
大正五年(1916年)




 西末社には小ぶりな浪速狛犬がいました。台座には「大阪堂嶋濱」とありました。阿形のくわっと開いた口と吽形の口角のあがったにっとした表情がいいですね。たてがみや尾はホイップクリームを絞り出したような形をしています。横から見ると、頭が大きく胴体が小さめで、肉付きのいい子犬のような体つきも愛らしいです。

 後日、ネットで調べていると本殿の両脇にも中国風の迫力満点の狛犬がいたようです。これは気づきませんでした。むむ、残念。

◆「筥崎宮 本殿 楼門 の 狛犬? がすごい」(渕上清志 CLASSICS FUKUOKA / 肥前屋質店(予約制)) - 楼門の中の狛犬の写真。


<基本情報>
福岡県福岡市東区箱崎1-22-1


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<関連サイト>
◆「筥崎宮(箱崎宮)福岡市東区にある神社、筥崎八幡宮」(公式ホームページ)
◆「筥崎宮」(Wikipedia)
◆「筥崎宮」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「筥崎宮」(神の座す場所) - 楼門に掲げられた『敵国降伏』とは武力によって敵を降伏させるという意味ではなく、徳の力を持って導き、相手が自ずからなびき降伏するという、わが国のあり方を説いているそうです。