2013年10月20日日曜日

【狛犬アルバム】吉祥寺(東京都文京区本駒込)


 東京の「狛虎」巡りの最後は、文京区本駒込の吉祥寺です。吉祥寺は曹洞宗の寺院なのですが、ここには一対の狛犬と一対の狛虎がいました。また、吉祥寺といえば中央線の吉祥寺駅が有名ですが、本駒込の吉祥寺のほうが歴史が本家で、明暦の大火に襲われ家を失った本駒込の吉祥寺の門前町の住民が現在地に武蔵野市吉祥寺の辺りへ移住したことに由来するそうです(Wikipediaより)。2013年10月に訪問しました。

<設置されている場所>
本堂の前

<台座の年号>
不明




 本堂の前には一対の台湾狛犬(南獅子、南方、南方系などともいわれています)がいました。台座には年号などがなくいつの時代のものかはわかりませんでしたが、比較的新しいもののようです。尻尾の根元には八つの渦があり、そこから五股に尾が分かれています。ひとつひとつ丁寧に縞模様が描かれていました。また向かって右側の狛犬には子獅子がおり、親の首に懸かった鈴にかじりつく様がかわいらしいです。

◆「中国製狛犬」(巽彫刻) - 北獅子に対して南獅子と呼んでいるが、種類は豊富で出会うと楽しくなる。モデルのライオン像とはかけ離れて独創的な像も多く中国石工の想像力に拍手。


<設置されている場所>
経蔵(きょうぞう)の前

<台座の年号>
弘化四年(1847年)




 お目当ての狛虎は区指定有形文化財となっている経蔵の前にいました。これまで見てきた天現寺善國寺の狛虎と比べると、せり上がった肩と前に出た額などは似ているのですが、サイズはやや小ぶりで、控えめな印象です。丸顔で優しい印象というか、やや情けない印象を受けました。阿吽ともに顔の剥落がはげしかったせいなのかもしれません。ただ、縞模様の彫りは見事というほかありません。江戸の職人の腕を感じました。後ろから見ると、背骨がやや経蔵のほうへ傾いていました。後ろ姿はぽっちゃりした猫のようでした。このからだつきもやわらかな印象を与えることに影響しているのかもしれません。

 なお、この経蔵は、江戸時代に曹洞宗の修行所として知られた吉祥寺の図書収蔵庫であったとのこと。そしてこの修行所は栴檀林(せんだんりん)と呼ばれ、のちの駒澤大学となったそうです。

<基本情報>
吉祥寺
東京都文京区本駒込3-19


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<関連サイト>
◆「文京区 吉祥寺(きちじょうじ)」(文京区ホームページ)
◆「吉祥寺_(文京区)」(Wikipedia)
◆「お寺の獅子(文京区本駒込 吉祥寺1)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「お寺の獅子(文京区本駒込 吉祥寺2)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「東京・城西編」(日本全国「狛犬のキモチ」掲載済みの狛犬)

【狛犬アルバム】善國寺(東京都新宿区神楽坂)


 広尾の天現寺の次に訪れたのは神楽坂にある毘沙門天です。正式名称を善國寺といいます。2013年10月に訪問しました。

<設置されている場所>
本堂の左右

<製作年>
嘉永元年(1848年)




 広尾の天現寺の狛虎より、サイズは大きく、より力強さを感じます。太い尻尾は体に沿って背中に密着しています。大きく踏み出した前脚はかなり太く、体つきも肉感的で、迫力があります。阿吽の別は非常に曖昧ですが、向かって右側の口元が若干上がっているような気がしました。阿形は顔の右側、吽形は顔の左側と尻尾から背にかけてにかけて、崩落しているのが残念ですが、とても立派な作りです。この狛虎のそばに看板があり、「石虎」と書かれていました。新宿区の指定有形民俗文化財に指定されています。台座に彫られた虎も見事で、向かって左側の吽形の台座には、じゃれあう二匹の小虎が彫られていました。



 休日の神楽坂は歩行者天国になっていて、とても賑わっていました。それにしても、若い女性が多いなと思っていたら、奉納された絵馬にジャニーズのアイドルグループ「嵐」の文字が。ここでかつて神楽坂が舞台となったテレビドラマに二宮和也さんが登場していたことを思い出しました。そんなわけでいまや、毘沙門天は「嵐の聖地」となっていたのでした。

◆「にぎわう「嵐の聖地」、神楽坂の毘沙門天・善國寺−海外のファンも」(市ケ谷経済新聞) - ジャニーズの人気グループ「嵐」の二宮和也さんが主演し、2007年に放映されたテレビドラマ「拝啓、父上様」(フジテレビ系列)は、神楽坂を舞台とした作品。ドラマ内で同寺が登場したことや、(中略)ファンの間では「嵐の聖地」の一つとして親しまれている。


<基本情報>
善國寺
東京都新宿区神楽坂5-36


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<関連サイト>
◆「神楽坂 毘沙門天 【宗教法人善國寺】」(公式ホームページ)
◆「善国寺」(Wikipedia)

【狛犬アルバム】天現寺(東京都港区南麻布)


 この日は、東京の「狛虎」を巡りました。いずれも山の手線の中にあり、江戸時代から有名だったそうです。まずは、高級住宅地として知られる南麻布にある天現寺からスタートです。2013年10月に訪問しました。

◆「【狛犬の仲間たち】1-6. 虎

<設置されている場所>
待合室の前

<台座の年号>
明和三年(1766年)




 まず見つけたのが低い台座に乗る一対の狛虎でした。待合室の入り口の左右に置かれていました。阿吽の配置は逆で、向かって右側に吽形、左側に阿形が置かれています。

 阿形は虎というより猫のようで、顔も平面的で、閉じた口元も波状になっていて愛嬌があります。態勢は左の前脚をやや引いてこちらのほうをじっと見ています。一方吽形のほうは、正面を見据えており、顔つきも立体的で表情に力強さを感じます。また肩甲骨をぐっとせりあげた姿勢も生き生きとしていました。

 阿形の耳はちょこんと頭の上に立っているのですが、吽形の耳は後ろに向けて伏せています。このように阿吽でかなり作りが異なっているのですが、まっすぐに通った鼻筋は共通でした。この鼻の作りが人面っぽく見せているのかもしれません。


<設置されている場所>
多聞天の前

<台座の年号>
天保六年(1835年)




 お堂の前には黒っぽい狛虎がいました。まず目を引くのが、縞の彫りの美しさです。湖面の波紋のような模様で巧みに虎の縞模様を表現しています。また、一度立ち上がり、手前のほうへ流れる太い尻尾の曲線も見事です。

 大きさは中くらいですが、爪は鋭く、ともに肩甲骨を上げた構えの姿勢で力強さがあります。一方で顔つきはふっくらとしていて、優しい表情をしており、全体的には優美さを感じます。

 訪れた日は残暑が残る熱い日だったのですが、法事のために礼服を着た西洋人らしき親子がいました。さすが広尾は国際的だなあと思いつつ、カメラのシャッターを切ったのでした。

<基本情報>
天現寺
東京都港区南麻布4-2-35


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<関連サイト>
◆「神使 - 狛犬でない狛犬(最古の狛犬シリーズ)」(日本参道狛犬研究会ホームページ)
◆「憧れていた虎、天現寺@港区南麻布」(市中見廻☆落・狛な日々)

2013年10月19日土曜日

【狛犬アルバム】宇美八幡宮(福岡県糟屋郡宇美町)


 宇美八幡宮は、安産の神様として知られる神社です。「宇美」の地名も「産み」に由来しているとのこと。私も幼い頃、七五三で来た覚えがあるのですが、今回は姪っ子のお宮参りのために訪れました。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
一の鳥居の後ろ

<台座の年号>
昭和二年(1927年)




 大きな鳥居の先の少し階段になった場所に狛犬がいました。台座は高くわれわれを見下ろしています。大きな胸を張った護国系狛犬ですが、顔が小さく、平ぺったいのが特徴的です。たてがみや尻尾はそれほどのボリュームはありませんが、たてがみの跳ね気味の毛先の彫りが繊細で素晴らしいです。また、阿吽ともに首に瓔珞(ようらく)といわれる首飾りをかけていました。全体的にはシンプルな作りなのですが、ひとつひとつのパーツが細やかで洗練された狛犬です。

 台座には昭和二年(1927年)とありましたが、材質も違うことから製作された年とは異なるかもしれません。


<設置されている場所>
神門の前

<台座の年号>
昭和三十七年(1962年)




 この狛犬は一の鳥居の前にあった狛犬とほぼ同じデザインです。異なる点は体つきがやや太いこと、首をより参道側に傾けていること、たてがみや尻尾がやや大きいこと、瓔珞がないことなどです。眉毛や細かな歯など繊細な彫りが素晴らしいです。大きさはこちらのほうが小さく作られています。大きな垂れ耳なのですが、目玉が彫られていることもあってこちらを見つめられているような視線を感じます。

 こちらも台座には昭和三十七年(1962年)とありましたが、台座は材質も異なるため実際に造られた時期は一の鳥居の後ろの狛犬と同じ時期なのではないかと推測されます。


<設置されている場所>
神門の前

<製作年>
不明




 そしてその後ろには岡崎現代型の狛犬がいました。こんな近距離に面白みのない狛犬を置かなくてもいいのに、という気持ちになります。


<設置されている場所>
拝殿の前

<製作年>
不明




 拝殿の前にはおそらくこの神社でもっとも古いと思われる狛犬がいました。全体的にずんぐりとしていて、平たい顔に大きな垂れ耳です。たてがみや尻尾はシンプルです。吽形には角があり、京都でよく見られる型のようにも見えます。


<設置されている場所>
聖母宮の前

<台座の年号>
昭和十三年(1938年)




 本殿右奥の聖母宮の前には筋骨隆々とした、戦闘的な顔つきの狛犬がいました。福岡市の住吉神社や福津市の宮地嶽神社とほぼ同じ型のものです。石材の材質が同じようですし、もしかすると同じ石工の作品なのかもしれません。

台座には「福岡市 石彫刻 藤村三郎」とあったので、調べてみました。すると光雲神社の狛犬と同じ作者であることがわかりました。獰猛な狛犬を彫らせたらピカ一ですね。

◆「九州編」(狛犬のキモチ)


<基本情報>
宇美八幡宮
福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1


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<関連サイト>
◆「宇美八幡宮公式ホームページ」(公式ホームページ)
◆「宇美八幡宮」(Wikipedia) - 神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、敏達天皇3年に応神天皇を祀ったのに始まる。「宇美」の地名も「産み」に由来するものである。
◆「宇美八幡宮」(神社探訪・狛犬見聞録)

2013年10月6日日曜日

【狛犬アルバム】宮地嶽神社(福岡県柳川市隅町)


 柳川の狛犬を巡る旅の最後は、三柱神社の隣にあった宮地嶽神社です。この神社では三対の狛犬に出会えました。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の太鼓橋の前

<製作年>
不明




 参道の途中には、妙に四角い狛犬がいました。はじめは苔で緑になった石かと思っていたのですが、よくよくみると一対の狛犬でした。阿形は柱のようなものの上に前脚を置き、身をせりあげていますが、四角い石の原型がそのままうかがえます。逆に吽形は後脚を上げる構えの態勢をしていました。

 狛犬は四角い石を彫って形作るものですが、それをいかに石から切り出したという感じを与えずに、生き生きとした躍動感を与えるかが石工の腕の見せ所といえると思っています。それなのにこの狛犬は四角い石の角を落として、狛犬に仕立てたという感じがはっきりと見て取れてしまいます。技術的には稚拙と言わざるをえないのですが、それでもじっと見ていると、それはそれで面白いと思える味がありました。妙に四角い狛犬の顔つきはひょうきんにも感じられます。この後、本殿の裏に狛犬を見つけたのですが、阿形の顔の表情がよく似ていました。本殿の裏の狛犬(明治十三年のもの)をモデルに造られたのかもしれません。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
<製作年>
昭和二年(1927年)




 拝殿の前には大きめのサイズの狛犬がいました。阿形には口の中に玉があり、ころころと動くように彫られています。昭和二年と比較的新し目のものです。シンプルな尾立て狛犬でした。


<設置されている場所>
本殿の裏

<台座の年号>
明治十三年(1880年)




 この狛犬にははじめ狛犬のような素朴な雰囲気がありました。吽形の団子鼻などは石膏のシーサーのような味わいもあります。明治十三年(1880年)と古いためか、残念ながら阿形の顔がかなり崩れてしまっていました。阿吽を比べると、阿形の顔のサイズがかなり大きくなっています。大きな顔に短い手足というアンバランスがいい味を出しています。とても愛嬌のある狛犬でした。

 柳川で出会った狛犬は大きな垂れ耳のものが多く、どれも愛嬌のある顔つきをしていました。柳川近郊で最も古いものは三柱神社のもので、その後は明治になってほかの神社でも狛犬が奉納されるようになったのだと思われます。


<基本情報>
宮地嶽神社
福岡県柳川市隅町22


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<関連サイト>
◆「宮地嶽神社」(神社探訪・狛犬見聞録)

【狛犬アルバム】三柱神社(福岡県柳川市三橋町高畑)


 三柱神社はかつて柳川を治めていた立花家ゆかりの三体の御神体が合祀されたことをその名前の由来とする神社です。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
楼門後の前

<台座の年号>
文政九年(1826年)




 実は三柱神社は、平成17年の火災により本殿を除く多くの建造物が延焼してしまいました。楼門も大半が燃えてしまい、今は骨格となる柱を残すのみなのですが、その手前の石階段の前に大きな狛犬が一対いました。

 大きなたれ耳につぶらな瞳をしています。額や頭頂部が小さく、口は大きいことから顔はおむすび型をしていています。全体的に丸みを帯びて、優しい印象を受ける狛犬です。吽形には角がある以外は阿吽の大きな差はありませんでした。


<設置されている場所>
本殿の前

<製作年>
文政九年(1826年)




 本殿の前にはブロンズ製の立派な狛犬がいました。サイズは中くらいでブロンズにしてはやや大きめです。神殿狛犬の系譜を次ぐデザインですが、大きな垂れ耳と阿形の頭には宝珠が、吽形の頭には角がある点が特徴的です。鬼のような顔つきに、眉毛と口の下のあご髭が渦を巻いています。ともに身体は向き合う形ですが、首は参拝客のほうに直角に傾けています。また前脚はまっすぐにピンと伸ばし、後脚も台座との接着面が広く大きな足です。なお、ブロンズの胴体に直接、奉納者や製作年等が刻まれていました。


<基本情報>
三柱神社
福岡県柳川市三橋町高畑323-1


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<関連サイト>
◆「三柱神社」(柳川市webサイト)
◆「三柱神社」(立花家十七代が語る立花宗茂と柳川) - 三柱神社は、平成17年6月3日火災により拝殿、廻廊が全焼、楼門も一部焼けるなどの被害がでましたが、幸いにして本殿は延焼を免れました。
◆「三柱神社」(神社探訪)
◆「三柱神社のジョンとリリー。(福岡・柳川)」(Basan World)

【狛犬アルバム】鷹尾神社(福岡市柳川市大和町鷹ノ尾)


 玉誰神社の次に向かったのは、神功皇后のゆかりの神社との言い伝えのある鷹尾神社です。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
楼門の中

<製作年>
昭和四十四年(1969年)





 鳥居をくぐると「神功皇后行啓遺跡」と石碑がありました。平安末期には、筑後一の宮「高良神社」の別宮(べつぐう)だったそうで、かつては有明海に近く海上交通の拠点として栄えていたことが伺い知れます。

 一対目の狛犬は楼門にいました。木造狛犬ですが、なんともビビッドな赤と青の彩色がほどこされています。阿吽ともに歯は金色に塗られており、身体には白い渦巻きのような模様が描かれています。阿形は伏せ耳、吽は横に立った耳をしており、尻尾は炎のようにゆらめきながら団扇のように広がっています。サイズは小ぶりなのですが、この塗り分けの印象は鮮烈で、とても印象に残っています。特に吽形の顔、たてがみ、尻尾、前脚の毛が赤で、胴体が青という塗り分けはすごいです。アバンギャルド狛犬とでもいうべきかもしれません。

 以下のウェブサイトによると、柳川市の手堀神社にも同じように真っ赤と真っ青に塗られた木彫り狛犬がいるようです。この赤青の塗り分けは柳川地方に独特のものなのでしょうか。とはいえ、昭和になってからのものなので、謎は深まるばかりです。

◆「手堀神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「狛犬その5【手堀神社・柳川市】」(近くの彼方から)


<設置されている場所>
本殿の横

<台座の年号>
大正?年(読み取れませんでした)




 本殿の横には肉付きの良い子犬のようなかわいらしい狛犬がいました。阿形のほうにはかつて赤い彩色があったような名残が見受けられました。はたしてこの狛犬もかつては真っ赤だったのでしょうか。


<基本情報>
鷹尾神社
福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317


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<関連サイト>
◆「鷹尾神社・皇后軍をハムヤ舞とブリ料理で迎えたムラ人たち」(ひもろぎ逍遥)
◆「鷹ノ尾神社」(神社探訪)
◆「鷹尾神社 〜注目ポイントが目白押し!〜『神社・仏閣』 柳川市」(福岡よかとこ.com)

【狛犬アルバム】玉誰神社(福岡市柳川市大和町鷹ノ尾)


 柳川市は福岡県の筑後地方の都市です。詩人である北原白秋の出身地として有名で、現在は川下りなど水郷として知られています。そんな柳川市の狛犬を巡る旅は、水田の広がる西鉄中島駅から徒歩8分ほど北にある玉誰神社(玉垂神社)から始まりました。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
社殿の前

<台座の年号>
明治十年(1877年)(※)

※台座の写真を撮り忘れたため、記憶が頼りなのですが、少々自信がありません。




 のどかな田園地帯にあった小さな神社に、やや大きめの猫背の狛犬がいました。将棋盤のような小さめの台座の上に、前かがみに大きな身体をたたむ様子は、おとなしくなった子犬のようです。大きな目に団子鼻、そして足れた耳が可愛らしいです。たてがみはふさふさとしているわけではありませんが、耳の後ろに流れ、耳の下で三つの渦を巻いています。尻尾は立っていますが、身体の大きさと比べると小さめのサイズです。

 明治初期という時代に、この田園地帯にこの大きさの狛犬があり、なかなか洗練された様式であるということから、奉納した氏子たちも相当の想いを込めていたのではないかと思います。

 訪れた日は9月というのに34度を超える夏日でした。大きな樹木の日陰となった神社の境内では近所のおじいさん、おばあさんがゲートボールのようなゲームを楽しんでおり、とてものどかな光景でした。


<基本情報>
玉誰神社
福岡市柳川市大和町鷹ノ尾
※以下のGoogleマップ上では「白峯神社」となっています。


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<関連サイト>
◆「玉誰神社」(神社探訪)