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2015年5月7日木曜日

【狛犬アルバム】染井稲荷神社(東京都豊島区駒込)


染井稲荷神社はJR巣鴨駅から徒歩で10分程度、駒込の住宅街の中にある小さな神社です。2015年5月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
<製作年>
不明




小さな境内の小さな拝殿の前に低めの台座の上にちょこんと座る一対の狛犬がいました。全体的に丸みを帯びた小ぶりな狛犬。磨耗のためかやさしげな表情に見えます。よく見ると阿吽の別がほとんどありませんでしたが、向かって右手の狛犬の頭頂部には小さなこぶのような角がありました。大きな豚鼻と柔和な表情は浪速狛犬のようです。残念ながら台座に年号などは掘られておらず、いつの時代のものかは不明でしたが、石の材質的にそれほど古いものではなさそうでした。

ちなみに染井稲荷神社のあった一帯はかつて「染井村」と呼ばれ、桜の品種ソメイヨシノはここに住んでいた造園師や植木職人が江戸末期から明治初期にかけて開発した品種だそうです。また桜の季節に来ると綺麗なのでしょうね。

◆「ソメイヨシノ」(Wikipedia)
◆「隠れた桜の名所染井稲荷神社!とその周辺を散策してみよう。」(Find Travel)

<基本情報>
染井稲荷神社
東京都豊島区駒込6丁目11-5



<関連サイト>
◆「染井稲荷神社」(神社探訪・狛犬見聞録)

2014年6月14日土曜日

【狛犬アルバム】中村八幡神社(東京都世田谷区深沢)


 中村八幡神社は、深沢の交差点からほど近い住宅地の中にあります。ネット上での情報を事前に見て探していたのですが、どうにも見つかりません。おかしいなあと迷子になりかけた頃に、若いお母さんと小さな子どもが古い平屋の木造の民家の前でなにやら立ち止まっていました。何だろうと近くにいくと、なんとその民家が、中村八幡神社だったのでした。2014年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
鳥居の左右

<台座の年号>
昭和二十年(1945年)




 普通の民家のブロック塀の後ろ、鳥居の左右の地べたに、小さな狛犬が一対置かれていました。サイズは高さ30cmほどでしょうか。この小さな狛犬はともに崩れはじめていて、阿吽の別もわかりません。ただし、残された部分から完成当時をイメージすると、筋骨隆々として小さいながらも力強い狛犬だったのではないでしょうか。台座には昭和二十年五月吉日とありました。

 とはいえ、年月による摩耗は痛々しいほどで、向かって右側(通常なら阿形)の前脚は雑に修復されていますが無惨な姿です。すっかりやせ細って鉄筋がむき出しになっています。もとは大宝神社型だったのでしょう。おそらく鉄筋で簡単な骨格を組み、そこにモルタルで形を作っていったのでしょう。沖縄の民家の屋根や、門柱の上に置かれたシーサーも、瓦屋根をふいた職人が残った漆喰で作ったといいます。それと似ていますね。

◆「狛犬ニュース」(日本参道狛犬研究会ホームページ)
 この狐の作り方は、まず番線と呼ばれる針金で狐の形を作りそこにモルタルを塗って、小さな専用の鏝を使い完成させます。これは左官屋の仕事で「モルタル彫刻」と云います。足の細さは石彫では出来ない見事な仕事と云えます。その後十分に乾燥させ青黒い塗料を塗ってブロンズ擬き狐の仕上がりです。 (写真・文;山田敏春)・・・(中略)・・・こちらが部分拡大写真でミカゲに見えるかも知れないが、セメントに黒い砂が混ぜて固めてある。元々このセメントの上から塗装してあったが、建立20年を越して、塗装が剥げてセメントが剥き出しになったようだ。
 しかし、しかし、どうも今までにも何対かは、このセメントしょうわを見ていたけど気が付かなかっただけかも知れない。これからはしょうわもホントにミカゲ石かどうか良く確かめよう。  【報告者 三遊亭 円丈】


 それにしても、民家がそのまま神社になっているとはどういうことなのでしょう。田畑の中にあった小さな神社が、周りの土地を切り売りして今の民家だけが残ったのか。それとも新神道系なのか、だとしたら狛犬などわざわざ作らないでしょう。謎に思いながら、その日は帰宅しました。

 後日写真を見たり、ネットで調べたりしていると、小さな境内というか、民家の前のスペースに庚申塔があることがわかりました。私の訪問時のメモにも中村庚申様とあります。もしかすると、宅地開発からこの庚申塔を守るため作られた神社なのかもしれません。


◆「庚申塔」(Wikipedia)
庚申塔(こうしんとう)は・・・(中略)・・・、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。・・・(中略)・・・庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。・・・(中略)・・・申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、・・・(中略)・・・村の境目に建立されることもあった。庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期(寛永期以降)頃からである。以降、近世を通して多数の庚申塔が建てられた。・・・(中略)・・・明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めた。さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになった。現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。


<基本情報>
中村八幡神社
東京都世田谷区深沢4-31-18


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<関連サイト>
◆「中村八幡神社(世田谷区深沢)」(杜を訪ねて)

【狛犬アルバム】天祖神社(東京都世田谷区中町)


 金剛寺から北へ少し向かうと上野毛通りに出ます。その通りに面して大きな鳥居と石灯籠があるのが天祖神社です。2014年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
昭和三年(1928年)




 台座には昭和三年狛犬新調とありましたが、台座のみが古くて、狛犬は新しい岡崎現代型でした。おそらく昭和後期のものだと思われます。ここも粕谷さんという方が奉納者になっていました。

 その先にはきれいに石が敷かれた参道が続き、新しい神楽殿もありました。大きな境内の割に拝殿は小さなものでしたが、こちらも比較的新しくきれいでした。そしてその瓦屋根の上には、鬼瓦のように端に獅子がいました。前脚で瓦をつかみ、まるで空を飛んでいるかのような軽やかな動きと愛らしい顔つきが印象的でした。




<基本情報>
天祖神社
東京都世田谷区中町3-18-1


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<関連サイト>
◆「天祖神社(世田谷区中町)」(杜を訪ねて)
◆「旅先で出あった狛犬・獅子29(世田谷区中町3天祖神社)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「中町天祖神社|世田谷区中町の神社」(猫のあしあと) - 中町天祖神社は、世田谷区中町にある天祖神社です。中町天祖神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には当地周辺(野良田村)の鎮守社だったといい、明治維新後天祖神社と改称したといいます。
◆「File.45 中町天祖神社例大祭」(世田谷散策記 世田谷の秋祭り) - それまでの町名は野良田でした。この名は江戸時代初期にはあり、何も無い野原を意味する「野良」が開墾された耕作地であるから「野良田」と呼ばれるようになったものだと考えられています。しかし住民は気に入っていなかったようで、この名は田舎めいているという住民の意見を考慮し、位置的に玉川村(現在の玉川地域)の中央にあることから玉川仲町と改名されました。そして昭和44年の住居表示の際に中町に変更となった次第です。

【狛犬アルバム】金剛寺(東京都世田谷区中町)


 世田谷区中町は東急大井町線の北側に広がる豪邸街です。そんな中に金剛寺という真言宗の寺院がありました。2014年6月に訪問しました。

<設置されている場所>
薬師堂の前

<製作年>
不明




 本堂に向かう右側に薬師堂があり、その前に一対の古い狛犬がいました。台座に年号が刻まれておらず、かなり摩耗しており、いつ頃のものかわかりませんでした。ただこの蛙のような平ぺったい顔つきは江戸後期、1800年代はじめではないかと推測されます。ふさふさとした尻尾が台座にかかるように彫られているなど、しっかりとしたつくりです。


<設置されている場所>
門を入って左側

<製作年>
不明




 門を入って左側のうっそうとした場所にも一対の狛犬がいました。阿形は顔自体がほとんど剥落してしまっています。このような片隅に忘れられたかのように置かれているのはそのせいでしょうか。ただ、さきほどの薬師堂の前のものより、大きく立派な狛犬です。いわゆる江戸狛犬で、毛並みはふさふさとしていて、口元もふっくらとしています。阿形は前脚の下に珠を、吽形は子獅子を抱えているようです(これも多くが剥落してしまっていますが)。

 寺院の前の解説によると、「この地に土着帰農した吉良の遺臣粕谷遠江守が、・・・(中略)・・・金剛寺を創建し、一族の菩提寺とした。」とのこと。このあたりにはとても東京とは思えない豪邸が立ち並んでいましたが、粕谷姓が多く見られました。古くからの地主として粕谷一族は今もまだ健在のようです。


<基本情報>
金剛寺
東京都世田谷区中町2-20-11


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<関連サイト>
◆「お寺の獅子(狛犬)(世田谷区仲町2金剛寺)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「ゴルフ橋のいわれ」(悠々自適) - 名字と言えば、この街には粕谷姓が多い。歩いて得られた知識によると、十六世紀末の慶長年間、この地で帰農した吉良(<注>参照)の遺臣粕谷遠江守の末裔の方々と思われる。そのほか宇田川、木村姓が眼につく。察するにこの一帯に古くから住む大地主の子孫一族であろう。一口に街の変貌とは言うものの、依然として変わらないものがあるのだ。・・・(中略)・・・<注> 吉良氏について― 鎌倉時代に成立した武士団。清和源氏足利義氏の長子、長氏(ながうじ)が、三河国吉良庄地頭職を名字の地として独立したのが始まり。代々の総領は足利一族の名門の地位を占めた。盛衰を重ねるうちに、室町中期、子孫の一部は武蔵国世田谷に拠って関東府に仕えた。ここでいう吉良氏はその一族である。総領系はその後に徳川家臣となり、吉良上野介はその子孫。

2013年10月20日日曜日

【狛犬アルバム】吉祥寺(東京都文京区本駒込)


 東京の「狛虎」巡りの最後は、文京区本駒込の吉祥寺です。吉祥寺は曹洞宗の寺院なのですが、ここには一対の狛犬と一対の狛虎がいました。また、吉祥寺といえば中央線の吉祥寺駅が有名ですが、本駒込の吉祥寺のほうが歴史が本家で、明暦の大火に襲われ家を失った本駒込の吉祥寺の門前町の住民が現在地に武蔵野市吉祥寺の辺りへ移住したことに由来するそうです(Wikipediaより)。2013年10月に訪問しました。

<設置されている場所>
本堂の前

<台座の年号>
不明




 本堂の前には一対の台湾狛犬(南獅子、南方、南方系などともいわれています)がいました。台座には年号などがなくいつの時代のものかはわかりませんでしたが、比較的新しいもののようです。尻尾の根元には八つの渦があり、そこから五股に尾が分かれています。ひとつひとつ丁寧に縞模様が描かれていました。また向かって右側の狛犬には子獅子がおり、親の首に懸かった鈴にかじりつく様がかわいらしいです。

◆「中国製狛犬」(巽彫刻) - 北獅子に対して南獅子と呼んでいるが、種類は豊富で出会うと楽しくなる。モデルのライオン像とはかけ離れて独創的な像も多く中国石工の想像力に拍手。


<設置されている場所>
経蔵(きょうぞう)の前

<台座の年号>
弘化四年(1847年)




 お目当ての狛虎は区指定有形文化財となっている経蔵の前にいました。これまで見てきた天現寺善國寺の狛虎と比べると、せり上がった肩と前に出た額などは似ているのですが、サイズはやや小ぶりで、控えめな印象です。丸顔で優しい印象というか、やや情けない印象を受けました。阿吽ともに顔の剥落がはげしかったせいなのかもしれません。ただ、縞模様の彫りは見事というほかありません。江戸の職人の腕を感じました。後ろから見ると、背骨がやや経蔵のほうへ傾いていました。後ろ姿はぽっちゃりした猫のようでした。このからだつきもやわらかな印象を与えることに影響しているのかもしれません。

 なお、この経蔵は、江戸時代に曹洞宗の修行所として知られた吉祥寺の図書収蔵庫であったとのこと。そしてこの修行所は栴檀林(せんだんりん)と呼ばれ、のちの駒澤大学となったそうです。

<基本情報>
吉祥寺
東京都文京区本駒込3-19


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<関連サイト>
◆「文京区 吉祥寺(きちじょうじ)」(文京区ホームページ)
◆「吉祥寺_(文京区)」(Wikipedia)
◆「お寺の獅子(文京区本駒込 吉祥寺1)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「お寺の獅子(文京区本駒込 吉祥寺2)」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅)
◆「東京・城西編」(日本全国「狛犬のキモチ」掲載済みの狛犬)

【狛犬アルバム】善國寺(東京都新宿区神楽坂)


 広尾の天現寺の次に訪れたのは神楽坂にある毘沙門天です。正式名称を善國寺といいます。2013年10月に訪問しました。

<設置されている場所>
本堂の左右

<製作年>
嘉永元年(1848年)




 広尾の天現寺の狛虎より、サイズは大きく、より力強さを感じます。太い尻尾は体に沿って背中に密着しています。大きく踏み出した前脚はかなり太く、体つきも肉感的で、迫力があります。阿吽の別は非常に曖昧ですが、向かって右側の口元が若干上がっているような気がしました。阿形は顔の右側、吽形は顔の左側と尻尾から背にかけてにかけて、崩落しているのが残念ですが、とても立派な作りです。この狛虎のそばに看板があり、「石虎」と書かれていました。新宿区の指定有形民俗文化財に指定されています。台座に彫られた虎も見事で、向かって左側の吽形の台座には、じゃれあう二匹の小虎が彫られていました。



 休日の神楽坂は歩行者天国になっていて、とても賑わっていました。それにしても、若い女性が多いなと思っていたら、奉納された絵馬にジャニーズのアイドルグループ「嵐」の文字が。ここでかつて神楽坂が舞台となったテレビドラマに二宮和也さんが登場していたことを思い出しました。そんなわけでいまや、毘沙門天は「嵐の聖地」となっていたのでした。

◆「にぎわう「嵐の聖地」、神楽坂の毘沙門天・善國寺−海外のファンも」(市ケ谷経済新聞) - ジャニーズの人気グループ「嵐」の二宮和也さんが主演し、2007年に放映されたテレビドラマ「拝啓、父上様」(フジテレビ系列)は、神楽坂を舞台とした作品。ドラマ内で同寺が登場したことや、(中略)ファンの間では「嵐の聖地」の一つとして親しまれている。


<基本情報>
善國寺
東京都新宿区神楽坂5-36


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<関連サイト>
◆「神楽坂 毘沙門天 【宗教法人善國寺】」(公式ホームページ)
◆「善国寺」(Wikipedia)

【狛犬アルバム】天現寺(東京都港区南麻布)


 この日は、東京の「狛虎」を巡りました。いずれも山の手線の中にあり、江戸時代から有名だったそうです。まずは、高級住宅地として知られる南麻布にある天現寺からスタートです。2013年10月に訪問しました。

◆「【狛犬の仲間たち】1-6. 虎

<設置されている場所>
待合室の前

<台座の年号>
明和三年(1766年)




 まず見つけたのが低い台座に乗る一対の狛虎でした。待合室の入り口の左右に置かれていました。阿吽の配置は逆で、向かって右側に吽形、左側に阿形が置かれています。

 阿形は虎というより猫のようで、顔も平面的で、閉じた口元も波状になっていて愛嬌があります。態勢は左の前脚をやや引いてこちらのほうをじっと見ています。一方吽形のほうは、正面を見据えており、顔つきも立体的で表情に力強さを感じます。また肩甲骨をぐっとせりあげた姿勢も生き生きとしていました。

 阿形の耳はちょこんと頭の上に立っているのですが、吽形の耳は後ろに向けて伏せています。このように阿吽でかなり作りが異なっているのですが、まっすぐに通った鼻筋は共通でした。この鼻の作りが人面っぽく見せているのかもしれません。


<設置されている場所>
多聞天の前

<台座の年号>
天保六年(1835年)




 お堂の前には黒っぽい狛虎がいました。まず目を引くのが、縞の彫りの美しさです。湖面の波紋のような模様で巧みに虎の縞模様を表現しています。また、一度立ち上がり、手前のほうへ流れる太い尻尾の曲線も見事です。

 大きさは中くらいですが、爪は鋭く、ともに肩甲骨を上げた構えの姿勢で力強さがあります。一方で顔つきはふっくらとしていて、優しい表情をしており、全体的には優美さを感じます。

 訪れた日は残暑が残る熱い日だったのですが、法事のために礼服を着た西洋人らしき親子がいました。さすが広尾は国際的だなあと思いつつ、カメラのシャッターを切ったのでした。

<基本情報>
天現寺
東京都港区南麻布4-2-35


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<関連サイト>
◆「神使 - 狛犬でない狛犬(最古の狛犬シリーズ)」(日本参道狛犬研究会ホームページ)
◆「憧れていた虎、天現寺@港区南麻布」(市中見廻☆落・狛な日々)

2013年9月8日日曜日

【狛犬アルバム】上野東照宮(東京都台東区上野公園)


 上野公園の狛犬巡りの最後は上野東照宮です。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
大正四年(1915年)




 多くの灯籠がびっしりと立ち並ぶ参道の先に、高い台座の上からの見下ろす大きなマッチョ狛犬がいました。

 大きくせり上がり、アンバランスなまでに発達した大胸筋はまるでボディービルダーのようです。威風堂々としたその体つきに似合わず顔は小さく、尻尾の大きさも控えめになっています。「日本全国獅子・狛犬ものがたり」(上杉千郷著)には、「神殿に置かれていた木彫狛犬の流れをくむ、堂々たる姿の石造狛犬」とありました。モデルになった狛犬がいたようです。

 以前訪れた際には社殿は修復工事中だったのですが、今回は工事は完了していました。初めて見た社殿は、東照宮だけあって豪華絢爛で、まばゆいばかりの金色に輝いていました。


<基本情報>
上野東照宮
東京都台東区上野公園9-88


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<関連サイト>
◆「上野東照宮」(公式ホームページ)
◆「上野東照宮」(Wikipedia)
◆「上野東照宮」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「上野公園の狛犬たち 3」(雨漏り書斎)

【狛犬アルバム】花園稲荷神社(東京都台東区上野公園)


 花園稲荷神社は五條天神社に隣接した小さな神社です。五條天神社の拝殿の右手にある階段を登るとあります。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
鳥居の前

<台座の年号>
宝暦三年(1753年)




上野公園の通りに面した鳥居の前にかなり古い狛犬がいました。台座は低く、ほぼ地面の上に設置されていました。横からみるとかえるのような姿勢をしてします。

 顔つきは独特で、横長の目、小さな鼻、びっしりと並んだ歯などから人面のように見えます。口元だけを見ると、犬のようです。あご髭やたて髪は分厚く彫られており、毛先は巻き毛になっていますが、肩の辺りからは厚みのない直毛の毛になっているなど、丁寧な彫り分けが見られます。また、後ろ脚には羽根のような毛が彫られています。尻尾は左右にではなく、前後にボリュームのある立ち尾になっているのも特徴です。

 体つきはつるんとしていますが、胸には三本の縦の筋で筋肉が表現されていました。また、後脚の間は彫られていませんでした。そして、前脚、後脚ともに独特の爪の形をしています。なにやら間接のようなものが見られて、人間の手足を参考にしたようでもあります。

 台座には綺麗な明朝体で「宝暦三年(1753年)」と彫られていました。この字体や鋭い彫りははじめ狛犬によく見られる様式です。


<基本情報>
花園稲荷神社
東京都台東区上野公園4-17


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<関連サイト>
◆「上野公園 花園稲荷神社(忍岡稲荷) - 御縁起」(公式ホームページ)
◆「花園稲荷神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「上野公園の狛犬たち 1」(雨漏り書斎)

【狛犬アルバム】五條天神社(東京都台東区上野公園)


 上野公園には動物園や博物館、美術館だけでなく、神社も多くあり、さまざまなタイプの狛犬がいることで有名です。上野公園の狛犬巡りのはじめに五條天神社を訪ねました。2013年9月に訪問しました。

<設置されている場所>
鳥居の先

<台座の年号>
大正十五年(1926年)




 大きな石造の鳥居をくぐるとその先に小ぶりな一対の江戸獅子タイプの狛犬がいました。阿形が子連れ、吽形が玉取りになっています。丸みを帯びた顔つきと分厚い唇と切れ長の目が特徴です。首はぐっと参道のほうを向いています。くるくるとしたたてがみの巻き毛が盛り上がっており、尻尾は真ん中分けになっていました。


<設置されている場所>
拝殿前

<製作年>
不明




 一対目の狛犬の先の階段を降りると、拝殿が見えて来ます。拝殿前の賽銭箱の向こうには柵があって進めませんでしたが、柵と拝殿の間に小ぶりなブロンズ狛犬がいました。

 この狛犬は大宝神社の木製狛犬がモデルと思われますが、かなり細身でしゅっとしています。前脚が長く、まるで小型の狩猟犬のようです。訪れた日はぱらぱらとした夕立ちがあり、夕陽を受けてきれいに輝いていました。


<基本情報>
五條天神社
東京都台東区上野公園4-17


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<関連サイト>
◆「上野公園 医薬祖神 五條天神社」(公式ホームページ)
◆「五條天神社(台東区)」(Wikipedia)
◆「五條天神社」(神社探訪・狛犬見聞録)
◆「上野公園の狛犬たち 2」(雨漏り書斎)

2013年8月24日土曜日

【狛犬アルバム】千束八幡神社(東京都大田区南千束)


 千束八幡神社は、日蓮上人が足を洗ったという言い伝えのある洗足池のほとりにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
天保八年(1837年)




 池の淵にある鮮やかな朱色の鳥居をくぐり、少し階段を登ると拝殿があります。その左右に中くらいの大きさの素朴な狛犬がいました。

 太い眉毛と四角い頭が特徴的です。また、後ろからみると尻尾が真ん中わけできれいに左右に分かれていました。尻尾も眉も細やかに彫られてはいるものの、あまり立体感はなく、やや平面的な印象です。同じ天保期の北沢八幡の狛犬に近い雰囲気でした。吽形の口もとがニヤッと笑っているようにも見えて愛嬌があります。

 洗足池のまわりには日陰で昼寝をする人やジョギングする人がいて、ボート乗り場もありました。周辺住民の憩いの場になっていて、とても穏やかな景色でした。


<基本情報>
千束八幡神社
東京都大田区南千束2-23-10


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<関連サイト>
◆「洗足池」(Wikipedia) - この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。(中略)のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。
◆「旗挙げ八幡とも言われた八幡神社」(大田区の狛犬を訪ねて)
◆「千束八幡神社「名馬池月発祥伝説」」(デジカメ散策「大田区の史跡・歴史」)

2013年8月19日月曜日

【狛犬アルバム】雪ヶ谷八幡神社(東京都大田区東雪谷)


 雪ヶ谷八幡神社は、東急池上線の石川台駅からすぐ近くにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
西側の参道の鳥居の左右

<台座の年号>
明治二十九年(1896年)




 石川台の駅の周りの土地は低く、神社の境内は丘になっていました。商店街側から見えた小さな鳥居に向かって登ると鳥居の左右に小さな狛犬が一対いました。

 明治期に作られた小ぶりの江戸尾立ち狛犬です。横長で小さな鬼のような顔つき、蹲踞の姿勢で尻尾は大きく立っており、炎の揺らめきのような見事な造形です。頭の上をよくみると、阿形には宝珠、吽形には角がついていましたが、それ以外には阿吽の違いはほとんどありませんでした。全体的に細やかで石工職人の技が光るのですが、なぜか後脚の間がくりぬかれておらず、つながっている点が不思議です。ほかの狛犬ではこれまでに見たことのない特徴でした。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和十八年(1943年)




 拝殿の前には高い台座の上から見下ろす岡崎現代型の狛犬がいました。どこででもよく見るタイプです。

 南側のメインの参道にあった鳥居は両部鳥居といわれる型で、無垢の木製でした。東京の神社にはコンクリート製の鳥居も多い中で、木製で、かつ朱に塗られていない鳥居に出会えました。木目が見える鳥居はとてもいい佇まいでした。




<基本情報>
雪ヶ谷八幡神社
東京都大田区東雪谷2-25-1


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<関連サイト>
◆「雪ヶ谷八幡神社」(公式ホームページ)
◆「雪ヶ谷八幡神社」(Wikipedia)
◆「雪が谷八幡神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて)

2013年8月18日日曜日

【狛犬アルバム】御嶽神社(東京都大田区北嶺町)


 御嶽神社(おんたけじんじゃ)は東急池上線の御嶽山(おんたけさん)駅の近くにある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
参道の途中

<台座の年号>
慶応三年(1867年)




 参道の途中に比較的大きな狛犬が一対いました。台座の周りには木の柵があり、狛犬に触れられないようになっていました。特に阿形の剥落が進んでいるためなのでしょう。首が長く、前脚をぴんと伸ばした蹲踞の姿勢でとてもよい姿勢です。

 大きく張り出した目に伏せ耳で、顔つきは横長です。阿形の口には小さな臼歯がびっしりと彫られていました。また、卍のような渦巻きが額や胸など身体中にありました。ソフトクリームのような尻尾は大きく、渦を巻きながら立ち上がっています。眉間の眉毛も渦を巻き、先がきゅっと捻じられていました。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
不明




 拝殿の前には、小ぶりな山犬(狼)の狛犬がいました。脇腹に三本のあばら骨と思われる線が彫られており、丸く太い尻尾が横に垂れています。かなり古いもののようで、欠けてる箇所も多く、ともに右耳がなく、首のあたりにも修復の痕跡がありました。

 阿吽にはなっておらず、ともに狐像のように巻物を口にくわえています。面白いことに、向かって右側の頭の上には宝珠らしき出っ張りがありました。

 製作された時期は分かりませんでしたが、下記のホームページによると、大きな社殿にした天保二年(1831年)の頃に奉納されたのではないかと推測されるようです。

◆「神使狼神社 大田区北嶺町御嶽神社 1」(定年、これからの人生楽しみ探しの旅) - 銘文を探すことが出来なかった。拝殿の前にあることから、大きな社殿にした時、同時に建立したと考えられる。


<設置されている場所>
御嶽神社境内にある大鳥神社

<台座の年号>
天保年間(と推定)




 大きな拝殿の向かって右側にある小さな祠が大鳥神社で、この前にずんぐりむっくりとした一対の狛犬がいました。阿吽にはなっておらず、ともに阿形です。低い台座から平行に並んでこちらのほうを見つめています。首を内側に傾けていることから、以前は向かい合うように置かれていて、かつ左右が逆に置かれていたのではないかと推測したのですが、実は小さな目玉が彫られており、目玉は上のほうを向いいます。すると元から低い台座でこの配置だったのか、、、と謎が深まりました。

 身体中に丸く浮き出た渦巻きのような模様が彫られています。たてがみは大仏像の螺髪のような巻き毛で、あご髭や眉毛もくるくると渦を巻いています。向かって右側の狛犬の鼻の下には渦巻きのひげがあって、愛嬌があります。向かって右側の狛犬には角のような、左側の狛犬には宝珠がありました。また足下を見ると、とても鋭い四本の爪が台座をがっしりと掴んでいました。

 台座に奉納された年号が彫られていたのですが、「天」の後が剥落して読めませんでした。しかし神社の歴史を見ると、天保年間に奉納されたと見るのが妥当と思われます。

 御嶽神社は駅の近くの商店街の近くにあるわりに、境内はとても広くゆったりとした作りなのが印象的でした。拝殿や本殿の木彫りの装飾はとても立派で、区指定文化財にも指定されているとのことです。苔むした手水舎も古くて趣きがあって素敵でした。

◆「御嶽神社と子どもの天国『東調布公園』」(大田ナビ 散歩日和) - 中に入ると山岳信仰の神社らしく愛きょうのある顔つきの㈪二匹の山犬(日本オオカミ)が社殿を守っています。さらに後ろに回りこむと区指定文化財に指定された1831年創建といわれる本殿壁画の彫刻を見ることができます。


<基本情報>
御嶽神社
東京都大田区北嶺町37-20


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<関連サイト>
◆「御嶽神社」(公式ホームページ)
◆「御嶽神社」(Wikipedia)
◆「御嶽神社に合祀された大鳥神社」(大田区の狛犬を訪ねて)
◆「御嶽神社(大田区北嶺町)前編後編」(杜を訪ねて)
◆「御嶽神社〜東京都大田区」(神の息吹をいただく場所)
◆「御嶽神社」(東京こまっぷ)

2013年8月10日土曜日

【狛犬アルバム】六郷神社(東京都大田区東六郷)


 六郷神社は多摩川の河口近く、京急線の六郷土手と雑色の間にある神社です。大田区最古の参道狛犬がいると聞いてやってきました。2013年8月に訪問しました。


<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
昭和十二年(1937年)




 拝殿前には高い台座の上に立派な岡崎現代型の狛犬がいました。戦後のものほど画一化されたデザインではありません。胸や前脚の筋肉が浮き出るように彫られており、とてもたくましい狛犬です。

 なお、台座には昭和十二年(1937年)とありましたが、下記のホームページによると大正八年(1919年)のものとのことです。

◆「大田区最古の狛犬、六郷神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて) - 現在鎮座している狛犬は大正8年のもの、台座を昭和12年に改修して高くしているようだ。



<設置されている場所>
社務所前庭

<台座の年号>
貞享二年(1685年)




 お目当てのはじめ狛犬は、なんと祠の前ではなく、前庭の井戸の前に置かれていました。

 なんと個性的な顔の狛犬なのでしょう。大きく窪んで彫られた横長の目と、大きな豚鼻、そして綺麗に並んだ歯。阿吽に彫り分けられていますが、阿型の歯は横から見ると少し出っ歯になって前に飛び出しているところも、愛嬌があります。

 なぜか阿形にははっきりと耳が彫られているのに対して、吽形は頭の上に小さく彫られています。もしかすると阿形が立て耳、吽形が伏せ耳なのかもしれません。また阿形の耳が渦巻き状に彫られているところが特徴的です。たてがみ、あご髭、肩のあたりと前脚に毛並みが彫られていますが、阿吽で微妙な彫り分けが見られます。尾は根元で左右に少し分かれますが、そこからまっすぐな尻が体にそって彫られています。

 はじめ狛犬の多くは腹の下はくりぬかれていないのですが、この狛犬は綺麗に腹の下がくりぬかれており、前脚と後脚がはっきりと彫られている点が特徴です。

 さすがに区内最古とあって有名狛犬となっており、神社の公式ホームページや大田区のホームページにも紹介がありました。

◆「六郷神社 » 境内散策」(公式ホームページ) - 神社神楽殿の前庭に置かれている狛犬は、独特のユーモラスな姿をしており、その造形の豊かな芸術性とともに、区内でいちばん古い狛犬として、大田区の文化財に指定されています。左側の呵形は耳を付け、高さ約45cm、胴の長さ約50cm。右側の吽形は角を3つ付け、高さ約45cm、胴の長さ約52cmです。

◆「狛犬(六郷神社)」(大田区ホームページ) - 貞享2年(1685年)に六郷中町の人々が願主となり、現世と来世の二世安泰を祈って奉納しました。区内で最も古いもので、石工は三右衛門と刻まれています。区指定文化財。この他、六郷神社では都指定文化財である流鏑馬が毎年1月に行われています。

 ちなみに六郷神社の境内は広く、大きな鳥居に石造りの立派な太鼓橋もありました。神社の案内によるとこの神社が面している大通りはかつての東海道(今は第一京浜)であったとのこと。多摩川近くの古くから交通の要衝であったこの地の歴史の古さを感じる神社でした。


<基本情報>
六郷神社
東京都大田区東六郷3-10-18


大きな地図で見る


<関連サイト>
◆「六郷神社<六郷の総鎮守>」(公式ホームページ)
◆「大田区最古の狛犬、六郷神社の狛犬」(大田区の狛犬を訪ねて) - 江戸時代の製作で、大胆な推測をすれば石工は何をモデルにしたのだろうか、当時珍重された「狆(チン)」ではないだろうか。しかし、横から見ると前足の所に獅子が持つ羽のようなものがある、この羽のような毛を「走毛」という説もある。獅子からイメージしたものであろうか。

【狛犬アルバム】多摩川浅間神社(東京都大田区田園調布)


 多摩川浅間神社は、東急東横線の多摩川駅の近く、多摩川を見下ろす田園調布の高台の上にある神社です。2013年8月に訪問しました。

<設置されている場所>
拝殿の前

<台座の年号>
大正三年(1914年)




 拝殿の前には大正時代の江戸獅子タイプの狛犬がいました。華麗な巻き髪のたてがみと尾が特徴的で、後ろから見るとその優美な毛並みが際立っています。阿形は子獅子を、吽形が玉を抱える、いわゆる「子取り玉取り」という型です。阿形の子獅子が玉にかぶりつく様が可愛らしいですね。

◆「玉と狛犬」(狛犬放浪記)

 この多摩川浅間神社は明治四十年(1907年)に、合祀されてできた神社だそうです。ということはそれから7年でこの狛犬が奉納されたことになります。氏子たちも待ち望んだのでしょう。

◆「多摩川浅間神社 歴史」(公式ホームページ) - 昔、下沼部村には、浅間、赤城、熊野の三つの神社がありましたが、明治40年、”一村に一神社”という合祀のための政令が出されたことから村人たちの話し合いが行われ、浅間神社が新しい村の鎮守様になりました。


<設置されている場所>
末社(小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社)の前

<製作年>
不明

 複数の社が合祀された末社には、狐像が五体(二対と一体)置かれていました。どれも小さく古いものでしたが、素朴な表情をしていました。

 足が折れた古いお稲荷さん。


 にっこりと見つめ合うお稲荷さん。


 まっすぐ前を見据えるお稲荷さん。


 ちいさな瞳と控えめな口元が可愛らしいです。



<基本情報>
多摩川浅間神社
東京都大田区田園調布1-55-12


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<関連サイト>
◆「多摩川浅間神社」(公式ホームページ)
◆「多摩川浅間神社」(Wikipedia)