■1. 神使・眷属
神社には狛犬だけでなく、狼、犬、狐などの石像が置かれている場合があり、時には狛犬のように一対のものもあります。しかし、実はこれらは狛犬とは少々役割が異なっています。狛犬は神像を守護するための霊獣ですが、狼、犬、狐などは神使(しんし)あるいは眷属(けんぞく)と呼ばれ、神の使いという位置づけなのです(眷属は仏教に由来する用語で、神道では神使と呼ばれています)。日本古来の神々はその姿を持たず、われわれは見ることはできません。その神々がわたしたちの目に見える形で意志を伝えるために遣わした動物が神使とされています。
そして神使である動物は、本殿や拝殿の彫刻や手水舎に彫られたり、狛犬のように石像となって境内で見ることができます(春日大社の鹿や、伊勢神宮の鶏のように境内で飼育されているものもあります)。神社によって神使が決まっていますが、なぜその動物が神使となったかについては、神話や民間伝承などさまざまな由来があります。
◆「神使」(Wikipedia)
◆「神使像めぐり 神使になった動物たち 福田 博通」(神使の館)
2010年2月21日日曜日
【狛犬の仲間たち】1-1. 狼
■1-1. 狼
狼は、「大神」に通じることからもわかるように、様々な神使の中で最も神に近いものとされています。神格化された狼は古来より「大口之真神」(おおくちのまかみ)という神名で呼ばれています。狼信仰で有名なのは東京・奥多摩や埼玉・秩父地方です。この地域では、猪などの動物から田畑を守り、山火事を遠吠えで知らせる狼は「お犬さま」と呼ばれ、信仰の対象となってきました。
狼像と狐像の違いは、浮き上がったあばら骨、二本の牙、足先の爪などで見分けることもできますが、狐とほとんど区別がつかないものも多くあります。ちなみに、ヤマイヌ(山犬)とオオカミ(狼)とは、別の動物とされる場合もありますが、現在では同一の動物と考える説が有力のようです。
◆「狼-(1) オオカミ 日本武尊(お犬さま信仰)のオオカミ」(神使の館)
◆「オオカミ像「あらかると」」(神使の館) - 多くの狼像の写真。
◆「狼-(6) 秩父・武蔵の オオカミ風にされた和犬」(神使の館) - 和犬像が狼像風になっている。
狼は、「大神」に通じることからもわかるように、様々な神使の中で最も神に近いものとされています。神格化された狼は古来より「大口之真神」(おおくちのまかみ)という神名で呼ばれています。狼信仰で有名なのは東京・奥多摩や埼玉・秩父地方です。この地域では、猪などの動物から田畑を守り、山火事を遠吠えで知らせる狼は「お犬さま」と呼ばれ、信仰の対象となってきました。
狼像と狐像の違いは、浮き上がったあばら骨、二本の牙、足先の爪などで見分けることもできますが、狐とほとんど区別がつかないものも多くあります。ちなみに、ヤマイヌ(山犬)とオオカミ(狼)とは、別の動物とされる場合もありますが、現在では同一の動物と考える説が有力のようです。
◆「狼-(1) オオカミ 日本武尊(お犬さま信仰)のオオカミ」(神使の館)
◆「オオカミ像「あらかると」」(神使の館) - 多くの狼像の写真。
◆「狼-(6) 秩父・武蔵の オオカミ風にされた和犬」(神使の館) - 和犬像が狼像風になっている。
【狛犬の仲間たち】1-2. 犬
■1-2. 犬
狼や狐と非常に似ていて非常に区別がつきにくいのですが、犬(和犬)が神使となっている神社も多くあります。由来としては、弘法大師(空海)が高野山の開山を決めた時に和犬に先導されたという伝説から、真言宗や天台宗の密教では和犬を神使としたのではないかといわれています。
◆「犬 イヌ(1) 弘法大師(空海)の和犬」(神使の館)
◆「犬 イヌ(2) 地主神の和犬」(神使の館)
◆「犬 イヌ(3) 目黒不動の「子連れ和犬」(神使の館)」(神使の館)
狼や狐と非常に似ていて非常に区別がつきにくいのですが、犬(和犬)が神使となっている神社も多くあります。由来としては、弘法大師(空海)が高野山の開山を決めた時に和犬に先導されたという伝説から、真言宗や天台宗の密教では和犬を神使としたのではないかといわれています。
東京都目黒区下目黒 目黒不動尊(瀧泉寺)
和犬像
和犬像
◆「犬 イヌ(1) 弘法大師(空海)の和犬」(神使の館)
◆「犬 イヌ(2) 地主神の和犬」(神使の館)
◆「犬 イヌ(3) 目黒不動の「子連れ和犬」(神使の館)」(神使の館)
【狛犬の仲間たち】1-3. 狐
■1-3. 狐
おそらく狛犬についで最も見ることができるのは狐ではないでしょうか。阿吽で一対になっていたり、子取り、玉取りのものも多くあり、非常に狛犬に近い形式で置かれています。
稲荷神社は稲作を中心とする穀物の五穀豊穣を司る神を祀っていますが、その神使であるのが狐とされています(江戸時代に入ると、稲荷神は商売の神ともされました)。その由来には諸説あるのですが、食物のことを御饌ともいうことから、「御饌津神」(みけつ)とも言われていたものが、これを「三狐神」と読み替えたところからともいわれています。日本古来からあった狐信仰がその根源にあるのかもしれません。
狐は口に玉や巻物、鍵を加えているものが多くあります(鍵は前脚の下に抱えていたりもします)。玉は神霊や富や財宝、巻物はご神徳が書かれたもの、鍵は宝箱あるいは蔵を開くものと解釈されていますが、これも詳しいことははっきりしていないようです。
◆「狐 キツネ(1) 農耕・食物神の狐…神道系稲荷のキツネ」(神使の館) - 狐像の写真。伏見稲荷大社など。
おそらく狛犬についで最も見ることができるのは狐ではないでしょうか。阿吽で一対になっていたり、子取り、玉取りのものも多くあり、非常に狛犬に近い形式で置かれています。
稲荷神社は稲作を中心とする穀物の五穀豊穣を司る神を祀っていますが、その神使であるのが狐とされています(江戸時代に入ると、稲荷神は商売の神ともされました)。その由来には諸説あるのですが、食物のことを御饌ともいうことから、「御饌津神」(みけつ)とも言われていたものが、これを「三狐神」と読み替えたところからともいわれています。日本古来からあった狐信仰がその根源にあるのかもしれません。
狐は口に玉や巻物、鍵を加えているものが多くあります(鍵は前脚の下に抱えていたりもします)。玉は神霊や富や財宝、巻物はご神徳が書かれたもの、鍵は宝箱あるいは蔵を開くものと解釈されていますが、これも詳しいことははっきりしていないようです。
◆「狐 キツネ(1) 農耕・食物神の狐…神道系稲荷のキツネ」(神使の館) - 狐像の写真。伏見稲荷大社など。
【狛犬の仲間たち】1-4. 牛
■1-4. 牛
全国の天満宮では牛の像がおかれているところが多くあります。祀られている菅原道真には、
出生年は丑年、亡くなったのが丑の月の丑の日、牛車に乗り大宰府へ下った、牛が刺客から道真を守った、道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた…などと牛にまつわる多くの伝承があることから、牛が天満宮の神使となったとされています。また、道真公は学問の神様であることから、頭をなでると賢くなるともいわれています。
◆「天神信仰」(Wikipedia) - 菅原道真と牛の伝説。牛像の写真。
◆「牛 ウシ(2) 菅原道真の牛 - 1」(神使の館) - 菅原道真と牛の伝説。牛像の写真。
全国の天満宮では牛の像がおかれているところが多くあります。祀られている菅原道真には、
出生年は丑年、亡くなったのが丑の月の丑の日、牛車に乗り大宰府へ下った、牛が刺客から道真を守った、道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた…などと牛にまつわる多くの伝承があることから、牛が天満宮の神使となったとされています。また、道真公は学問の神様であることから、頭をなでると賢くなるともいわれています。
◆「天神信仰」(Wikipedia) - 菅原道真と牛の伝説。牛像の写真。
◆「牛 ウシ(2) 菅原道真の牛 - 1」(神使の館) - 菅原道真と牛の伝説。牛像の写真。
【狛犬の仲間たち】1-5. 猿
【狛犬の仲間たち】1-6. 虎
■1-6. 虎
虎は毘沙門天を祀る寺に多く見ることができます。毘沙門天は寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に出現し、聖徳太子が感得されたという伝説から、虎が神使とされました。ちなみに、インドでは財宝神とされていた毘沙門天は、中国を経て日本に伝わる頃には、四天王の一尊の武神・守護神とされるようになりました。
◆「虎 トラ 毘沙門天の虎」(神使の館) - 虎像の写真。
虎は毘沙門天を祀る寺に多く見ることができます。毘沙門天は寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に出現し、聖徳太子が感得されたという伝説から、虎が神使とされました。ちなみに、インドでは財宝神とされていた毘沙門天は、中国を経て日本に伝わる頃には、四天王の一尊の武神・守護神とされるようになりました。
◆「虎 トラ 毘沙門天の虎」(神使の館) - 虎像の写真。
【狛犬の仲間たち】1-7. そのほかの神使
■1-7. そのほかの神使
そのほかにも、以下のような神使がいることが知られています。
●鹿
鹿は、奈良の春日大社、茨城の鹿島神宮、広島の厳島神社などにおいて神使とされています。鹿島神宮の祭神である雷神・武神とされた武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)のところへ、天照大御神が鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)を使わした、という古事記の神話に由来しています。その後、奈良時代になり、藤原氏が藤原氏の氏神である武甕槌大神を祀るため、春日大社を創建します。その際に、武甕槌大神が白鹿に分霊を乗せ奈良まで行ったとされていることから、春日大社でも鹿が神使となりました。奈良公園で鹿が放し飼いになっているのもそのためです。
◆「御祭神(ごさいじん) 」(鹿島神宮)
◆「鹿 シカ 鹿島神宮の祭神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」の鹿」(神使の館) - 鹿島神宮と鹿、春日大社と鹿の伝説。鹿像の写真。
●兎
住吉大社の神使は兎とされています。住吉大社の祭神は古事記や日本書紀に登場する住吉三神ですが、住吉三神とともに神功皇后も祀られています。その神功皇后がお祭りされた日が卯の日であったことから、兎が神使となったようです。大阪の住吉大社の手水舎には、かわいらしい兎の石像があり、その口から水が注がれています。
◆「住吉大社 / 境内案内と文化財 / 名所旧跡」(住吉大社) - 手水舎。
また、調(つき)神社(さいたま市浦和区)でも、「つき」が「月」とかかることから、江戸時代より月の神の使いとされる兎が神使とされるようになりました。
◆「調神社」(Wikipedia)
◆「兎 ウサギ(1) 月の兎=調(ツキ)神社の兎」(神使の館)
杉崎神社(福井県武生市)では、祭神が大国主命であることから、因幡の白兎の神話に因んで、兎の像が奉納されています。
◆「兎 ウサギ(3) 大国主命の兎(因幡の白兎)」(神使の館)
●烏
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)における神使は烏です。神武天皇の東征の際に、三本足の烏である八咫烏(やたがらす)が、熊野から大和までの道案内をしたとされる神話に基づいています。この烏は太陽の化身ではないかと考えられ、黒い鳥は太陽の黒点を意味するものではないかとも言われています。
◆「八咫烏」(Wikipedia)
●鳩
鳩は、全国に約7800社あるといわれる八幡神社の神使とされています。その由来は、八幡神社の総本社である宇佐神宮(大分県宇佐市)から、石清水八幡宮(京都府八幡市)に分霊された際に、船の帆の上に鳩が出たという伝説にあるようですが、詳しいことはよくわかっていないようです。
◆「鳩 ハト 八幡神社(応神天皇)の鳩」(神使の館)
◆「石清水八幡宮」(Wikipedia)
●鶏
伊勢神宮では、鶏が神使とされており、敷地内には多くの鶏が放し飼いになっています。鶏が神使となっているのは、祭神である天照大神が、天岩戸にお隠れになってしまった際に、岩戸から出すために長鳴鳥(鶏)が一役買ったという古事記の神話に由来しています。
◆「鶏 ニワトリ 天宇受売命(アメノウズメノミコト)の長鳴鳥(鶏)」(神使の館)
●鼠
鼠は大黒天を祀る寺院・神社で神使とされています(大黒天とは、密教に由来する大黒天が大国主命と神仏習合した神で、豊穣の神とされています)。その由来は、大国主命が、須佐之男命の謀略によって野原で焼き殺されそうになった時に鼠に助けられたという神話から来ています。
◆「鼠 ネズミ 「だいこくさま」の鼠」(神使の館)
◆「大黒天」(Wikipedia)
◆「大国主の神話」(Wikipedia)
●蛇
弁財天(弁天)は、インドにおける川の神であり、そこから神使は蛇だとされたようです。また、農業神・穀物神である宇賀神と弁財天が習合して、頭が人、身体が蛇の姿の像も作られています。
◆「蛇 ヘビ(1) 弁天・弁才天・弁財天の蛇」(神使の館)
●鯉
大前神社(おおさきじんじゃ)(栃木県真岡市)の神使は鯉とされており、桃山時代末期の作といわれる本殿彫刻の中には、雌雄の鯉と鯉に乗る仙人(琴音仙人)が彫られています。また、境内にある大前恵比寿神社の恵比寿像は鯉を抱えています。その由来は、近くを流れる五行川下流で捕えた鯉を侍が調理しようとしたところ、腹から流れた血が「大前大権現」という文字になったという伝説にあるようです。
◆「トピックス」(大前神社) - 鯉にまつわる伝説。本殿彫刻「琴高仙人」 鯉に乗った琴の名士の写真。
◆「本殿彫刻」(大前神社)
また、埼玉県栗橋町の八坂神社では、利根川の洪水の際に、神社の祭神である素盞鳴命(すさのおのみこと)の像が、鯉と亀に守られ流れてきたという伝説から、鯉と亀が神使とされています。
◆「鯉 コイ 栗橋町 八坂神社の鯉」(神使の館) - 鯉像の写真。
●猪
愛宕神社の神使は、猪とされています。それは神社の創建者である和気清麻呂が、政敵であった道鏡に追放され、追っ手から逃げる際に猪に助けられたという故事に因んでいます(道鏡の神託事件)。また、愛宕神社だけでなく、明治時代になり和気清麻呂を祀って作られた護王神社や、出身地の岡山県和気町一帯や左遷先となった鹿児島県霧島市にある和気神社において、猪像を見ることができます。
◆「猪 イノシシ(2) 和気清麻呂の猪」(神使の館) - 和気清麻呂と猪の伝説。猪像の写真。
◆「猪 イノシシ(3) 愛宕(アタゴ)神社と勝(将)軍地蔵と猪」(神使の館) - 猪像の写真。
また、仏教においても摩利支天を祀る寺院には、猪像が置かれているところがあります。摩利支天は陽炎を神格化したものといわれていますが、軍神である一方、五穀豊穣の農業神ともされており、摩利支天像は三面六臂で、猪に乗っている姿で作られています。ここから猪が神使とされたと考えられています。
◆「猪 イノシシ(1) 摩利支天(マリシテン)の猪」(神使の館) - 各地の摩利支尊天堂にある猪像の写真。
●猫
明治時代から昭和初期にかけて養蚕業が盛んだった地域では、蚕に被害をあたえる鼠から蚕を守るため、天敵である猫を飼っていました。そこから猫が、蚕神の神使とされました。
◆「猫 ネコ 養蚕、蚕神、保食命(ウケモチノミコト)の猫」(神使の館) - 猫像の写真。
そのほかにも、以下のような神使がいることが知られています。
●鹿
鹿は、奈良の春日大社、茨城の鹿島神宮、広島の厳島神社などにおいて神使とされています。鹿島神宮の祭神である雷神・武神とされた武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)のところへ、天照大御神が鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)を使わした、という古事記の神話に由来しています。その後、奈良時代になり、藤原氏が藤原氏の氏神である武甕槌大神を祀るため、春日大社を創建します。その際に、武甕槌大神が白鹿に分霊を乗せ奈良まで行ったとされていることから、春日大社でも鹿が神使となりました。奈良公園で鹿が放し飼いになっているのもそのためです。
◆「御祭神(ごさいじん) 」(鹿島神宮)
◆「鹿 シカ 鹿島神宮の祭神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」の鹿」(神使の館) - 鹿島神宮と鹿、春日大社と鹿の伝説。鹿像の写真。
●兎
住吉大社の神使は兎とされています。住吉大社の祭神は古事記や日本書紀に登場する住吉三神ですが、住吉三神とともに神功皇后も祀られています。その神功皇后がお祭りされた日が卯の日であったことから、兎が神使となったようです。大阪の住吉大社の手水舎には、かわいらしい兎の石像があり、その口から水が注がれています。
◆「住吉大社 / 境内案内と文化財 / 名所旧跡」(住吉大社) - 手水舎。
また、調(つき)神社(さいたま市浦和区)でも、「つき」が「月」とかかることから、江戸時代より月の神の使いとされる兎が神使とされるようになりました。
◆「調神社」(Wikipedia)
◆「兎 ウサギ(1) 月の兎=調(ツキ)神社の兎」(神使の館)
杉崎神社(福井県武生市)では、祭神が大国主命であることから、因幡の白兎の神話に因んで、兎の像が奉納されています。
◆「兎 ウサギ(3) 大国主命の兎(因幡の白兎)」(神使の館)
●烏
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)における神使は烏です。神武天皇の東征の際に、三本足の烏である八咫烏(やたがらす)が、熊野から大和までの道案内をしたとされる神話に基づいています。この烏は太陽の化身ではないかと考えられ、黒い鳥は太陽の黒点を意味するものではないかとも言われています。
◆「八咫烏」(Wikipedia)
●鳩
鳩は、全国に約7800社あるといわれる八幡神社の神使とされています。その由来は、八幡神社の総本社である宇佐神宮(大分県宇佐市)から、石清水八幡宮(京都府八幡市)に分霊された際に、船の帆の上に鳩が出たという伝説にあるようですが、詳しいことはよくわかっていないようです。
◆「鳩 ハト 八幡神社(応神天皇)の鳩」(神使の館)
◆「石清水八幡宮」(Wikipedia)
●鶏
伊勢神宮では、鶏が神使とされており、敷地内には多くの鶏が放し飼いになっています。鶏が神使となっているのは、祭神である天照大神が、天岩戸にお隠れになってしまった際に、岩戸から出すために長鳴鳥(鶏)が一役買ったという古事記の神話に由来しています。
◆「鶏 ニワトリ 天宇受売命(アメノウズメノミコト)の長鳴鳥(鶏)」(神使の館)
●鼠
鼠は大黒天を祀る寺院・神社で神使とされています(大黒天とは、密教に由来する大黒天が大国主命と神仏習合した神で、豊穣の神とされています)。その由来は、大国主命が、須佐之男命の謀略によって野原で焼き殺されそうになった時に鼠に助けられたという神話から来ています。
◆「鼠 ネズミ 「だいこくさま」の鼠」(神使の館)
◆「大黒天」(Wikipedia)
◆「大国主の神話」(Wikipedia)
●蛇
弁財天(弁天)は、インドにおける川の神であり、そこから神使は蛇だとされたようです。また、農業神・穀物神である宇賀神と弁財天が習合して、頭が人、身体が蛇の姿の像も作られています。
◆「蛇 ヘビ(1) 弁天・弁才天・弁財天の蛇」(神使の館)
●鯉
大前神社(おおさきじんじゃ)(栃木県真岡市)の神使は鯉とされており、桃山時代末期の作といわれる本殿彫刻の中には、雌雄の鯉と鯉に乗る仙人(琴音仙人)が彫られています。また、境内にある大前恵比寿神社の恵比寿像は鯉を抱えています。その由来は、近くを流れる五行川下流で捕えた鯉を侍が調理しようとしたところ、腹から流れた血が「大前大権現」という文字になったという伝説にあるようです。
◆「トピックス」(大前神社) - 鯉にまつわる伝説。本殿彫刻「琴高仙人」 鯉に乗った琴の名士の写真。
◆「本殿彫刻」(大前神社)
また、埼玉県栗橋町の八坂神社では、利根川の洪水の際に、神社の祭神である素盞鳴命(すさのおのみこと)の像が、鯉と亀に守られ流れてきたという伝説から、鯉と亀が神使とされています。
◆「鯉 コイ 栗橋町 八坂神社の鯉」(神使の館) - 鯉像の写真。
●猪
愛宕神社の神使は、猪とされています。それは神社の創建者である和気清麻呂が、政敵であった道鏡に追放され、追っ手から逃げる際に猪に助けられたという故事に因んでいます(道鏡の神託事件)。また、愛宕神社だけでなく、明治時代になり和気清麻呂を祀って作られた護王神社や、出身地の岡山県和気町一帯や左遷先となった鹿児島県霧島市にある和気神社において、猪像を見ることができます。
◆「猪 イノシシ(2) 和気清麻呂の猪」(神使の館) - 和気清麻呂と猪の伝説。猪像の写真。
◆「猪 イノシシ(3) 愛宕(アタゴ)神社と勝(将)軍地蔵と猪」(神使の館) - 猪像の写真。
また、仏教においても摩利支天を祀る寺院には、猪像が置かれているところがあります。摩利支天は陽炎を神格化したものといわれていますが、軍神である一方、五穀豊穣の農業神ともされており、摩利支天像は三面六臂で、猪に乗っている姿で作られています。ここから猪が神使とされたと考えられています。
◆「猪 イノシシ(1) 摩利支天(マリシテン)の猪」(神使の館) - 各地の摩利支尊天堂にある猪像の写真。
●猫
明治時代から昭和初期にかけて養蚕業が盛んだった地域では、蚕に被害をあたえる鼠から蚕を守るため、天敵である猫を飼っていました。そこから猫が、蚕神の神使とされました。
◆「猫 ネコ 養蚕、蚕神、保食命(ウケモチノミコト)の猫」(神使の館) - 猫像の写真。
【狛犬の仲間たち】3. シーサー
■3. シーサー
沖縄で見られるシーサーは、日本の狛犬が沖縄に伝わったのではなく、14、15世紀頃に中国から沖縄(当時は琉球)へ伝わった獅子が独自に発展したものです。そして、沖縄では獅子を意味するシーサーという言葉でよばれるようになりました。しかし、その歴史をたどると、シーサーと狛犬の不思議な関係が見えてくるのです。
シーサーは時代と役割によって、「宮獅子」、「村落獅子(御嶽獅子)」、「家獅子(屋根獅子、門獅子)」の三種類に分類できます。
●宮獅子
14世紀後半に琉球が中国(当時の明)への朝貢貿易を始め、東アジアにおける中継貿易の拠点として栄えるようになると、このような交流の中で獅子が琉球に伝わりました。この時代の石獅子は、王宮や王族の陵墓に置かれており、現在でも首里城や玉陵(たまうどぅん)などで石獅子を見ることができます。その姿は中国獅子の姿をしていますが、徐々に琉球独自の表情をした石獅子もあわられてきます。
◆「首里城 | 施設案内 | 首里城正殿への道」 - 歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)の項に石獅子の解説。
●村落獅子(御嶽獅子)
中国から伝わった宮獅子とは異なり、民間伝承に由来するのが村落獅子と呼ばれるものです。その中で有名なのは東風平町(こちんだちょう)の富盛(ともり)の伝説です。伝説では、たびたび起こる火事に悩まされた住民が、村落の入り口に、火山とされた八重瀬嶽に向けて石造りの獅子を置いて火除けの神としたといわれています。この伝説が各地に広まり、17世紀以降に沖縄各地で村落や御嶽(うたき、信仰の対象となっている禁足地のこと)の入り口に、シーサーが設置されるようになりました。そしてそれらのシーサーは、厄除けや村落の守り神となっていきました。
◆「東風平町について - 東風平町へようこそ!」(東風平町) - 石彫大獅子の解説と写真。
●家獅子(屋根獅子、門獅子)
現在、われわれがシーサーといって思い浮かぶのは、家獅子と呼ばれるもので、民家の屋根や門の上に乗っている姿ではないでしょうか。しかし、このように一般の民家の屋根にシーサーが設置されるようになったのは、庶民が瓦屋根を持った家を建てることができるようになった戦後になってからでした。
明治時代になり、庶民に瓦屋根が認められたのですが、実際に瓦屋根を持った家を建てることができたのは、ごく一部の裕福な人に限られており、ほとんどの民家では茅葺き屋根が主流でした。屋根獅子は漆喰で作られていますが、これは屋根職人が瓦を葺いて余った漆喰で魔除けとして作ったのがはじまりといわれています。屋根獅子も、村落獅子と同様に単体で置かれているものがほとんどです。
また門獅子は陶器で作られています。陶製のシーサーは、阿吽の一対で置かれ、尾を上げたいわゆるかまえ型のものも多くありますが、これらの様式は、本土の狛犬の影響を受けたと考えられています。
◆「沖縄シーサー紀行」 - 沖縄県の制作。
◆「シーサー私論」(狛犬について私が知っている2、3の事柄)
このように今では本土ではほとんど作られなくなってしまった陶製の獅子が今も沖縄の多くの民家で見ることができるということと、本土では戦後になり急速に廃れつつある狛犬文化が、戦後の沖縄でシーサーと融合しつつ新たな発展を迎えていることに、狛犬とシーサーの不思議な巡り合わせを感じてしまいます。また、神社の境内でしか見ることが出来ない狛犬と比べ、シーサーが風水思想や魔除けといった庶民の信仰と深く結びつくことで、一般の家庭にまで深く浸透していることも非常に興味深いです。
沖縄で見られるシーサーは、日本の狛犬が沖縄に伝わったのではなく、14、15世紀頃に中国から沖縄(当時は琉球)へ伝わった獅子が独自に発展したものです。そして、沖縄では獅子を意味するシーサーという言葉でよばれるようになりました。しかし、その歴史をたどると、シーサーと狛犬の不思議な関係が見えてくるのです。
シーサーは時代と役割によって、「宮獅子」、「村落獅子(御嶽獅子)」、「家獅子(屋根獅子、門獅子)」の三種類に分類できます。
●宮獅子
14世紀後半に琉球が中国(当時の明)への朝貢貿易を始め、東アジアにおける中継貿易の拠点として栄えるようになると、このような交流の中で獅子が琉球に伝わりました。この時代の石獅子は、王宮や王族の陵墓に置かれており、現在でも首里城や玉陵(たまうどぅん)などで石獅子を見ることができます。その姿は中国獅子の姿をしていますが、徐々に琉球独自の表情をした石獅子もあわられてきます。
◆「首里城 | 施設案内 | 首里城正殿への道」 - 歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)の項に石獅子の解説。
●村落獅子(御嶽獅子)
中国から伝わった宮獅子とは異なり、民間伝承に由来するのが村落獅子と呼ばれるものです。その中で有名なのは東風平町(こちんだちょう)の富盛(ともり)の伝説です。伝説では、たびたび起こる火事に悩まされた住民が、村落の入り口に、火山とされた八重瀬嶽に向けて石造りの獅子を置いて火除けの神としたといわれています。この伝説が各地に広まり、17世紀以降に沖縄各地で村落や御嶽(うたき、信仰の対象となっている禁足地のこと)の入り口に、シーサーが設置されるようになりました。そしてそれらのシーサーは、厄除けや村落の守り神となっていきました。
◆「東風平町について - 東風平町へようこそ!」(東風平町) - 石彫大獅子の解説と写真。
●家獅子(屋根獅子、門獅子)
現在、われわれがシーサーといって思い浮かぶのは、家獅子と呼ばれるもので、民家の屋根や門の上に乗っている姿ではないでしょうか。しかし、このように一般の民家の屋根にシーサーが設置されるようになったのは、庶民が瓦屋根を持った家を建てることができるようになった戦後になってからでした。
明治時代になり、庶民に瓦屋根が認められたのですが、実際に瓦屋根を持った家を建てることができたのは、ごく一部の裕福な人に限られており、ほとんどの民家では茅葺き屋根が主流でした。屋根獅子は漆喰で作られていますが、これは屋根職人が瓦を葺いて余った漆喰で魔除けとして作ったのがはじまりといわれています。屋根獅子も、村落獅子と同様に単体で置かれているものがほとんどです。
沖縄県竹富町(竹富島)
民家の屋根に置かれた漆喰シーサー
また門獅子は陶器で作られています。陶製のシーサーは、阿吽の一対で置かれ、尾を上げたいわゆるかまえ型のものも多くありますが、これらの様式は、本土の狛犬の影響を受けたと考えられています。
◆「沖縄シーサー紀行」 - 沖縄県の制作。
◆「シーサー私論」(狛犬について私が知っている2、3の事柄)
このように今では本土ではほとんど作られなくなってしまった陶製の獅子が今も沖縄の多くの民家で見ることができるということと、本土では戦後になり急速に廃れつつある狛犬文化が、戦後の沖縄でシーサーと融合しつつ新たな発展を迎えていることに、狛犬とシーサーの不思議な巡り合わせを感じてしまいます。また、神社の境内でしか見ることが出来ない狛犬と比べ、シーサーが風水思想や魔除けといった庶民の信仰と深く結びつくことで、一般の家庭にまで深く浸透していることも非常に興味深いです。
【狛犬の仲間たち】5. 獅子頭(獅子舞)
■5. 獅子頭(獅子舞)
正月や祭りの際に見られる獅子舞ですが、その獅子の頭の部分を獅子頭といいます。この造形は狛犬や獅子鼻(→「【狛犬の仲間たち】4. 獅子鼻(木鼻)」参照)に非常に似ており、厄を祓うという意味に置いても狛犬との共通点が見られます。それでは、この獅子舞の歴史を狛犬との共通点を中心に探っていきましょう。
●獅子の調教
正倉院の中に、花樹の下で、鞭と手縄を持った獅子使いと二頭のライオンが描かれた織物があります。このことから、獅子舞は古代オリエントにおける獅子狩りや、ライオン調教の名残ではないかと推測されます。つまり、王の権威を高めるために、百獣の王であるライオンを王の玉座の下にひざまづかせる獅子座の思想が狛犬へとつながりましたが、同様にライオンを意のままに従えるだけの力と権威を示すのが獅子の調教であり、それが獅子舞につながった、と言えるのではないでしょうか。さらには、獅子の姿をして舞うことは、王の権威を象徴すると同時に、それを見る人々の邪を祓い、福をもたらすという観念をも生み出したのではないかと考えられます。
宗教儀式としての獅子舞は、インドの遊牧民や農耕民が起源ともいわれています。それがやがてシルクロードを伝わり、中国にもたらされる一方、東南アジアにも広がっていったのではないかと考えられます。
●中国における獅子舞
中国における獅子舞に関するもっとも古い記述は漢代のものだといわれています。唐代の詩人である白居易も詩の中で獅子舞の様子について述べています。このような獅子舞はやがて中国の舞楽に取り入れられていきました。現在の中国における獅子舞は、清の時代に確立されたといわれています。獅子頭と前脚に一人、後脚と背中に一人の二人と楽団で構成されており、主に旧正月や商店の開店祝いなどで舞われています。
●日本
平安時代に書かれた「枕草子」には、天皇の行幸に獅子舞が従っていたという様子が描かれています。この中では「獅子・狛犬が舞った」とあります。前述(→「【狛犬の歴史】4. 奈良時代の狛犬」参照)のように、現在では一対で狛犬といわれますが、当時は「獅子・狛犬」と区別されていました。つまり、この時代は、狛犬と獅子舞の区別はなく、獅子舞も「獅子・狛犬」と呼ばれていたようです。さらに、角を持つものは、宮中や神社に置かれた獅子像においても、舞をするための獅子頭であっても、当時は「狛犬」もしくは「高麗犬」といわれていたようです。
その後、この獅子舞が今日のような民俗芸能となったのは、16世紀初めに伊勢で飢饉が起きた際に、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に舞われたのが始まりとされています。その後、17世紀に江戸で獅子舞が定着したことで、庶民の間に広まっていきました。
現在の獅子舞は、西日本に多い伎楽(ぎがく)系の獅子舞と、関東・東北に多い風流(ふりゅう)系の獅子舞という二つの系統に分けられます。伎楽系の獅子舞は、正月や神楽で舞われることが多く(そのため、神楽系ともいわれます)、中に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子に分かれます。一方、風流系の獅子舞は一人が一頭の獅子に入り、太鼓を打ちながら舞います。関東地方では三匹一組の三匹獅子舞が見られ、山間部の農村では一般的な郷土芸能・民俗芸能となっています。
●獅子頭信仰
また、獅子頭が獅子舞から離れ、それ自体が信仰の対象となっている神社もあります。埼玉・玉敷神社では、神宝である獅子頭を人々が貸し出して祀った後に、家々を祓って歩くという神事が伝わっています。東京・波除稲荷神社には、金箔・金箔で飾られた獅子頭が祀られており、頭に着いた宝珠の中には神像が収められています。大阪・難波八坂神社には、巨大な獅子殿があり、この神社の御祭神である牛頭天王(ごずてんのう)の憤怒の形相をあらわしているとのことです。このように獅子頭そのものが信仰の対象となるということは、狛犬にはない特徴だと言えるでしょう
●沖縄
また、沖縄でも獅子舞は伝統芸能として各地で受け継がれており、豊年祭や旧盆の行事で演じられています。獅子舞は悪霊を祓い、五穀豊穣・子孫繁栄などをもたらすといわれ、三線や太鼓の演奏やエイサーの演舞にあわせて舞われます。沖縄の獅子舞の特徴は胴体も足も含めた獅子の着ぐるみとなっていることです。また、沖縄本島や周辺離島では一頭で、宮古・八重山地方では雌雄二頭で舞われます。沖縄の獅子舞は、その演目や様式の多さから、中国だけでなく、本土からも数回に渡って伝播したものが次第に習合されて出来上がったのではないかといわれています。
●バリ島のバロンダンス
実は、インドネシア・バリ島にも獅子舞に非常に似たバロンダンスという伝統芸能があります。バロンダンスとは、獅子に似た長さ3メートルほどのバロンといわれる霊獣がランダという魔女と終わりのない戦いを繰り広げるというヒンドゥー教の神話をもとにした物語にあわせて舞われるものです。バロンダンスは、下顎が動きカチカチと音を鳴らす獅子頭の構造や、二人一組で舞う姿が獅子舞に非常に似ていますす。また、人々に吉をもたらし凶を祓うものとされていることや、バロンは使われないときは寺院の祠にしまわれ御神体とみなされていることなども、獅子舞との共通点といえるでしょう。このバロンダンスの由来ですが、10世紀頃に仏教の伝道氏がバリにやってきた後に現在のバロンとランダの原型が伝えられたという説や、16世紀にジャワのヒンドゥー教の影響を受けたバロンが厄払いのためにバリに持ち込まれたという説などがあるようです。
◆「獅子舞 | 日本文化いろは辞典」(日本文化いろは辞典)
◆「沖縄好きのための沖縄情報サイト|おきぽた|沖縄の歴史と伝統|獅子舞」(おきぽた)
◆「これもまたシーサーの仲間」(沖縄シーサー紀行)
◆「バロン(barong)」(ウブド・バリ「アパ?情報センター」)
◆「獅子舞」(Wikipedia)
◆「バロン(聖獣)」(Wikipedia)
正月や祭りの際に見られる獅子舞ですが、その獅子の頭の部分を獅子頭といいます。この造形は狛犬や獅子鼻(→「【狛犬の仲間たち】4. 獅子鼻(木鼻)」参照)に非常に似ており、厄を祓うという意味に置いても狛犬との共通点が見られます。それでは、この獅子舞の歴史を狛犬との共通点を中心に探っていきましょう。
●獅子の調教
正倉院の中に、花樹の下で、鞭と手縄を持った獅子使いと二頭のライオンが描かれた織物があります。このことから、獅子舞は古代オリエントにおける獅子狩りや、ライオン調教の名残ではないかと推測されます。つまり、王の権威を高めるために、百獣の王であるライオンを王の玉座の下にひざまづかせる獅子座の思想が狛犬へとつながりましたが、同様にライオンを意のままに従えるだけの力と権威を示すのが獅子の調教であり、それが獅子舞につながった、と言えるのではないでしょうか。さらには、獅子の姿をして舞うことは、王の権威を象徴すると同時に、それを見る人々の邪を祓い、福をもたらすという観念をも生み出したのではないかと考えられます。
宗教儀式としての獅子舞は、インドの遊牧民や農耕民が起源ともいわれています。それがやがてシルクロードを伝わり、中国にもたらされる一方、東南アジアにも広がっていったのではないかと考えられます。
●中国における獅子舞
中国における獅子舞に関するもっとも古い記述は漢代のものだといわれています。唐代の詩人である白居易も詩の中で獅子舞の様子について述べています。このような獅子舞はやがて中国の舞楽に取り入れられていきました。現在の中国における獅子舞は、清の時代に確立されたといわれています。獅子頭と前脚に一人、後脚と背中に一人の二人と楽団で構成されており、主に旧正月や商店の開店祝いなどで舞われています。
●日本
平安時代に書かれた「枕草子」には、天皇の行幸に獅子舞が従っていたという様子が描かれています。この中では「獅子・狛犬が舞った」とあります。前述(→「【狛犬の歴史】4. 奈良時代の狛犬」参照)のように、現在では一対で狛犬といわれますが、当時は「獅子・狛犬」と区別されていました。つまり、この時代は、狛犬と獅子舞の区別はなく、獅子舞も「獅子・狛犬」と呼ばれていたようです。さらに、角を持つものは、宮中や神社に置かれた獅子像においても、舞をするための獅子頭であっても、当時は「狛犬」もしくは「高麗犬」といわれていたようです。
その後、この獅子舞が今日のような民俗芸能となったのは、16世紀初めに伊勢で飢饉が起きた際に、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に舞われたのが始まりとされています。その後、17世紀に江戸で獅子舞が定着したことで、庶民の間に広まっていきました。
現在の獅子舞は、西日本に多い伎楽(ぎがく)系の獅子舞と、関東・東北に多い風流(ふりゅう)系の獅子舞という二つの系統に分けられます。伎楽系の獅子舞は、正月や神楽で舞われることが多く(そのため、神楽系ともいわれます)、中に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子に分かれます。一方、風流系の獅子舞は一人が一頭の獅子に入り、太鼓を打ちながら舞います。関東地方では三匹一組の三匹獅子舞が見られ、山間部の農村では一般的な郷土芸能・民俗芸能となっています。
●獅子頭信仰
また、獅子頭が獅子舞から離れ、それ自体が信仰の対象となっている神社もあります。埼玉・玉敷神社では、神宝である獅子頭を人々が貸し出して祀った後に、家々を祓って歩くという神事が伝わっています。東京・波除稲荷神社には、金箔・金箔で飾られた獅子頭が祀られており、頭に着いた宝珠の中には神像が収められています。大阪・難波八坂神社には、巨大な獅子殿があり、この神社の御祭神である牛頭天王(ごずてんのう)の憤怒の形相をあらわしているとのことです。このように獅子頭そのものが信仰の対象となるということは、狛犬にはない特徴だと言えるでしょう
●沖縄
また、沖縄でも獅子舞は伝統芸能として各地で受け継がれており、豊年祭や旧盆の行事で演じられています。獅子舞は悪霊を祓い、五穀豊穣・子孫繁栄などをもたらすといわれ、三線や太鼓の演奏やエイサーの演舞にあわせて舞われます。沖縄の獅子舞の特徴は胴体も足も含めた獅子の着ぐるみとなっていることです。また、沖縄本島や周辺離島では一頭で、宮古・八重山地方では雌雄二頭で舞われます。沖縄の獅子舞は、その演目や様式の多さから、中国だけでなく、本土からも数回に渡って伝播したものが次第に習合されて出来上がったのではないかといわれています。
●バリ島のバロンダンス
実は、インドネシア・バリ島にも獅子舞に非常に似たバロンダンスという伝統芸能があります。バロンダンスとは、獅子に似た長さ3メートルほどのバロンといわれる霊獣がランダという魔女と終わりのない戦いを繰り広げるというヒンドゥー教の神話をもとにした物語にあわせて舞われるものです。バロンダンスは、下顎が動きカチカチと音を鳴らす獅子頭の構造や、二人一組で舞う姿が獅子舞に非常に似ていますす。また、人々に吉をもたらし凶を祓うものとされていることや、バロンは使われないときは寺院の祠にしまわれ御神体とみなされていることなども、獅子舞との共通点といえるでしょう。このバロンダンスの由来ですが、10世紀頃に仏教の伝道氏がバリにやってきた後に現在のバロンとランダの原型が伝えられたという説や、16世紀にジャワのヒンドゥー教の影響を受けたバロンが厄払いのためにバリに持ち込まれたという説などがあるようです。
◆「獅子舞 | 日本文化いろは辞典」(日本文化いろは辞典)
◆「沖縄好きのための沖縄情報サイト|おきぽた|沖縄の歴史と伝統|獅子舞」(おきぽた)
◆「これもまたシーサーの仲間」(沖縄シーサー紀行)
◆「バロン(barong)」(ウブド・バリ「アパ?情報センター」)
◆「獅子舞」(Wikipedia)
◆「バロン(聖獣)」(Wikipedia)
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