2010年2月21日日曜日

【狛犬の仲間たち】3. シーサー

■3. シーサー
 沖縄で見られるシーサーは、日本の狛犬が沖縄に伝わったのではなく、14、15世紀頃に中国から沖縄(当時は琉球)へ伝わった獅子が独自に発展したものです。そして、沖縄では獅子を意味するシーサーという言葉でよばれるようになりました。しかし、その歴史をたどると、シーサーと狛犬の不思議な関係が見えてくるのです。

 シーサーは時代と役割によって、「宮獅子」、「村落獅子(御嶽獅子)」、「家獅子(屋根獅子、門獅子)」の三種類に分類できます。

●宮獅子
 14世紀後半に琉球が中国(当時の明)への朝貢貿易を始め、東アジアにおける中継貿易の拠点として栄えるようになると、このような交流の中で獅子が琉球に伝わりました。この時代の石獅子は、王宮や王族の陵墓に置かれており、現在でも首里城や玉陵(たまうどぅん)などで石獅子を見ることができます。その姿は中国獅子の姿をしていますが、徐々に琉球独自の表情をした石獅子もあわられてきます。

◆「首里城 | 施設案内 | 首里城正殿への道」 - 歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)の項に石獅子の解説。

●村落獅子(御嶽獅子)
 中国から伝わった宮獅子とは異なり、民間伝承に由来するのが村落獅子と呼ばれるものです。その中で有名なのは東風平町(こちんだちょう)の富盛(ともり)の伝説です。伝説では、たびたび起こる火事に悩まされた住民が、村落の入り口に、火山とされた八重瀬嶽に向けて石造りの獅子を置いて火除けの神としたといわれています。この伝説が各地に広まり、17世紀以降に沖縄各地で村落や御嶽(うたき、信仰の対象となっている禁足地のこと)の入り口に、シーサーが設置されるようになりました。そしてそれらのシーサーは、厄除けや村落の守り神となっていきました。

◆「東風平町について - 東風平町へようこそ!」(東風平町) - 石彫大獅子の解説と写真。

●家獅子(屋根獅子、門獅子)
 現在、われわれがシーサーといって思い浮かぶのは、家獅子と呼ばれるもので、民家の屋根や門の上に乗っている姿ではないでしょうか。しかし、このように一般の民家の屋根にシーサーが設置されるようになったのは、庶民が瓦屋根を持った家を建てることができるようになった戦後になってからでした。

 明治時代になり、庶民に瓦屋根が認められたのですが、実際に瓦屋根を持った家を建てることができたのは、ごく一部の裕福な人に限られており、ほとんどの民家では茅葺き屋根が主流でした。屋根獅子は漆喰で作られていますが、これは屋根職人が瓦を葺いて余った漆喰で魔除けとして作ったのがはじまりといわれています。屋根獅子も、村落獅子と同様に単体で置かれているものがほとんどです。

沖縄県竹富町(竹富島)
民家の屋根に置かれた漆喰シーサー

 また門獅子は陶器で作られています。陶製のシーサーは、阿吽の一対で置かれ、尾を上げたいわゆるかまえ型のものも多くありますが、これらの様式は、本土の狛犬の影響を受けたと考えられています。

◆「沖縄シーサー紀行」 - 沖縄県の制作。
◆「シーサー私論」(狛犬について私が知っている2、3の事柄)

 このように今では本土ではほとんど作られなくなってしまった陶製の獅子が今も沖縄の多くの民家で見ることができるということと、本土では戦後になり急速に廃れつつある狛犬文化が、戦後の沖縄でシーサーと融合しつつ新たな発展を迎えていることに、狛犬とシーサーの不思議な巡り合わせを感じてしまいます。また、神社の境内でしか見ることが出来ない狛犬と比べ、シーサーが風水思想や魔除けといった庶民の信仰と深く結びつくことで、一般の家庭にまで深く浸透していることも非常に興味深いです。