2010年2月14日日曜日

【狛犬の歴史】1. 古代オリエントとライオン

■1. 古代オリエントとライオン
・獅子狩りと王家
 古代オリエントにはかつてライオンが生息していました(ヨーロッパでは紀元100年頃に絶滅し、ユーラシア大陸でもインドの一部を除き絶滅しています)。ライオンの生息していた時代、強い力を持つ獅子を倒す獅子狩りは、王家を讃え、王家の力を誇示することを意味していました。その一方で、王家や貴族たちは、獅子の強い力や威厳に憧れ、獅子を護符や印象の模様ともしていました。
 古代メソポタミア文明(紀元前3500年頃)時代の遺跡からは、黄金や銀製の獅子で飾られたソリ型の戦車、獅子の浮き彫りのある楯といった武具や、擬人化された獅子などの動物が描かれた楽器などが発見されています。また、槍や弓を持った武人が獅子を追うモチーフの絵画や彫刻や、獅子模様の彫刻が施された王の墓も多く残されています。

・獅子座の思想
 古代エジプトのツタンカーメン王(在位紀元前1347年〜1339年)の玉座には獅子があしらわれ、椅子の全面には獅子頭が、脚も獅子足になっていました。また、イスラエルのソロモン王(在位紀元前965年〜925年)の玉座の肘掛けの脇には二頭の雄獅子があしらわれ、6段の両脇には12頭の雄獅子が立っていたと旧約聖書に書かれています。
 これらのように、玉座に座り百獣の王である獅子を脚の下に従えることは、王にとって人々に威厳を示すことを意味していました。そして、権威の象徴として用いられるようになった獅子は、次第に実際の動物というよりも強い霊力を持った霊獣として認識されるようになっていったと考えられます。霊力を王の権威付けとしたり、王位が永遠に続くことを願うという呪詛的な性格を帯びてくる(人々に見せつけるだけでなく、身につけていることで安心できる、願をかけるということ)、これを「獅子座の思想」といい、やがてオリエントから各地に広がっていきました。

・グリフォンとスフィンクス
 南メソポタミアの都市国家ラガシュ(紀元前2300年頃)の紋章には二頭の獅子の頭の上に鷲が両翼を広げている姿が描かれています。このように胴は獅子、鷲の頭と翼を持つグリフォンという霊獣が誕生しました。アッシリア帝国のニネヴェ王宮(紀元前7世紀頃)の入口にも、頭は人、胴はライオン、鷲の翼を持った巨大な石の霊獣が設置されていました。この人間の頭は知恵を象徴しています。これらの有翼の霊獣は、王宮や神殿を守る役目を持っていたと考えられています。
 そして、獅子の胴に人間の頭を加えることでできあがったのがスフィンクスです。ギザの大スフィンクスが作られたのは紀元前2500年頃、その後も神殿やピラミッドを守護する巨大スフィンクスから、王や王女の顔を持つ小さなスフィンクス(第12代王朝ヒクソス族のスフィンクス)まで様々なものが造られました。このエジプトで生まれたスフィンクスは、やがてシリア、フェニキア、バビロニア、ペルシャ、小アジア、ギリシャなどにも広がっていったのです。
 ギリシャ神話ではスフィンクスは上半身は人間の女性、下半身は翼のある獅子という姿で、謎をかけて解けない者を殺すという人間に災いをもたらす恐ろしいものという性格で現れています。
 この時代にヨーロッパ各地に広がっていった守護獣としての獅子の伝統は、現在にまで脈々と受け継がれています。それはヨーロッパの王侯貴族の紋章に引き継がれ、現在の国章にも獅子が描かれたものが多いことからもわかります。

・獅子門の誕生
 紀元前15世紀半ばに小アジアのヒッタイトの中心地であったボガツケウイで発見された獅子門には、半楕円形のアーチ状となっている門の左右に獅子の姿が浮き彫りになっています。また、古代ギリシャ(紀元前12世紀頃〜7世紀頃)の首都であったミケーネでは、シュリーマンによって城の獅子門が発見されています。この獅子門の上部には大きな二頭の獅子が彫られており、二頭の獅子が向き合って城を守る構図となっています。これらの獅子が左右一対となって城内を守護する姿は、やがて仏教における獅子にも取り込まれていくのです。