■3. 唐獅子の誕生(中国)
中国では仰韶文化(新石器時代、紀元前5000年〜3000年)、龍山文化(紀元前3000年〜2000年頃)の時代から想像上の動物が陶器の文様として描かれており、それは霊力を持った霊獣として考えられていました。また殷(紀元前17世紀〜1046年、青銅器時代)の時代には、青銅器の全面に霊獣をびっしりと組み合わせた「饕餮文(とうてつもん)」といわれる文様も描かれています。このように古代中国では神に奉仕する動物として龍や鳳凰といった数々の霊獣が描かれる伝統があったのです。
漢の武帝の時代(在位紀元前141年〜87年)に、中国と西方世界の交流が始まると、オリエントからシルクロードを通って獅子が漢に伝えられました。その後、後漢の初め(1世紀頃)に中国に仏教が伝来すると同時に獅子座の思想も中国へ入っていったと考えられています。この時代に作られた山東省・武氏祠の獅子(209年頃)には有翼のものがあります。このような獅子はやがて少なくなり、時代が下るにつれて獅子の首には飾帯といわれる首飾りや鈴がつけられるようになっていきました。また五胡十六国時代(304年〜439年)に作られた仏像の台座の左右には牡獅子が彫られています。この獅子は日本の狛犬とは違い、両方とも大きく口を開き、蹲踞の姿勢はしていません。もともと中国では帝陵や貴族の墳墓に石獣や石人を参道の左右に一対で立てる風習がありました。唐の高宗・乾陵の石造獅子は参道の陵にもっとも近いところに一対で置かれています。こうして獅子座の思想とともに、左右一対で獅子を置くという形式が定着していったと考えられます。
こうして、シルクロードと仏教という二つのルートから伝わった獅子という猛獣は、中国古来の霊獣と同化して、「唐獅子」という新たな霊獣を生み出しました。そして、守護獣としての唐獅子は漢代以降、墳墓や祠堂の前に多く置かれるようになり、唐代に入ると霊獣にふさわしい力にあふれた表現とその様式が完成していきます。それらはやがて遣唐使などを通じて日本に入ってくることになるのです。